アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

カダフィ・リビアの英雄逝く

パンアメリカン機爆破事件の主犯で元リビア情報機関所属のメグラヒ(Abdel Basset Ali al-Megrahi)が5月20日リビア国内の自宅で死亡した。享年60才のこの男は1988年12月21日フランクフルト→ロンドン→ニュ-ヨ-クと飛ぶ予定のパンアメリカン機にフランクフルトで乗りこみ、プラスチック製時限爆弾を入れたス-ツケ-ス(Samsonite)を最終仕向地ニュ-ヨ-クまでチェックインして、自分はロンドン空港で行方不明になった。ロンドンを定刻30分遅れの18:25、暗闇の中離陸したジャンボジェットPan Am 103便(Boeing 747)はAl-Megrahiの目論見通り乗員乗客259人(内189人はアメリカ人)と共にスコットランド上空(Lockerbie)で爆破され空中分解、全員死亡した。時限爆弾に使われていたタイマ-と時限爆弾を装置した東芝ラジカセを包んでいた衣服からアメリカはこの爆破犯をリビア情報機関所属の男と断定した。リビアの最高指導者カダフィは当初、リビア国内で裁判中との理由で容疑者の引渡しを拒否したため、国連安保理は1992年容疑者の引渡しを求める決議を採択、それでも容疑者引渡しに応じないリビアに対し制裁を目的とした相次ぐ安保理決議を採択するに至り、リビアは1999年ようやく容疑者引渡しに合意した。リビアは更に2003年、自国の公務員の違法行為による責任を政府が負うとして、犠牲者遺族に対し総額27憶ドルの補償金も支払い、経済制裁を解除してもらったが、リビア政府は事件に関与していなかったとの立場を取っていた。しかし、昨年カダフィを倒した国民評議会議長のアブドルジャリル氏(Abdeljalil、カダフィ独裁政権下の法務大臣)は、Pan Am 機爆破事件はカダフィの業務命令であったと証言している。国連に引渡されたAl-Megrahiは2001年スコットランドの裁判所で終身刑を言い渡され服役中の身であったが、余命3カ月の末期がんと診断され、2009年8月、温情措置で釈放されて丁度カダフィ独裁40周年記念祝賀中のリビアに帰国。トリポリ空港でカダフィの熱烈な歓迎を受け、日曜日に死ぬまでの2年9カ月を祖国の首都トリポリの自宅で英雄として生きることができた。トリポリで入院中は最高級の病院で国費で治療を受け、妻と5人の子供の贅沢な生活費も国費で賄われた。結局この英雄はみじめな姿で殺害されたカダフィより7ヵ月も長生きしたことになる。医師に余命3カ月の診断書を書かせ爆破犯に温情措置をとってあげた英国は、この時カダフィリビアの石油・ガスをBritish Petroleumに供給する長期契約をしていたことがアメリカにばれて被害者遺族から非難されたが背に腹は代えられぬということだろう。被害に遭ったPan Amは人間の命が世界一高い米国基準で(飛行機が墜落したLockerbieで犠牲になった11名を含め)270名の犠牲者の遺族補償、飛行機の損失のほか信頼性喪失という風評被害で事故後間もなく経営破綻、1991年103便の後を追うように空中分解してしまった。パンアメリカン航空は「搭乗していない者の荷物を載せて就航した」ということになり、旅客と荷物の一致という原則に反して荷物検査を怠っていたことが判明し、Pan Am幹部も刑事訴追され有罪判決を受けた。Pan Amの保険を引き受けていた保険会社も飛行機と270個の命を全て一度に補償するという想定外の事故に倒産を余儀なくされた。ニュ-ヨ-ク・セントラル駅ビルの最上階にあって、市内のほぼどこからでも見ることができた「Pan Am」という看板が消えてからもう21年になる。マンハッタンのシンボルであった「Pan Am」の看板はカダフィリビアの英雄によって消滅させられた。