アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

台湾という国

1月の台湾総統選で当選した民進党蔡英文は、5月、正式に台湾総統に就任する。2000年から2008年、同じ民進党台湾総統陳水扁の時代からわずか8年だが、環境は様変わりした感がある。8年間の国民党・馬英九政権は中国との経済協定を進め、工場も雇用も中国に移ってしまった。その結果、台湾の若者の失業率が上がり、2014年春の「ひまわり学生運動」に発展した。人口2,300万の台湾が13億の中国に、経済を完全に牛耳られるのは困るというのだ。
台湾は、1895年、日清戦争講和条約で、清国の植民地から日本に割譲されたものだが、日本が敗戦で去った後も、中国は元植民地の独立を認めない。台湾の若者は、台湾は中国の一部ではないと主張しており、独立派の民進党・蔡英文新政権は、台湾経済の対中国依存度を下げて、日米ASEANとの結びつき強化を狙う。中国は、台湾は中国の一部と主張して独立を認めないが、今の台湾の若者は、中国の一部になる気も中国の属国になる気もない。蔡英文新政権が民意を反映して「中華民国」の存在を中国に認めさせる、長い、長い戦いが始まろうとしている。
 
台湾の公用語は、中国語だが、1895年から1945年まで日本が統治していた時は、日本語が公用語だった。台湾に旅行に行って驚くのは、非常に親日的な人が多いこと。先週、家族旅行で4日間の台北滞在中、見知らぬ台湾人に大変親切にしてもらった。調べてみると、日本統治時代の日本人の功績のせいらしい。現在の台湾の教育・民生・軍事・経済の基盤は、当時の日本によって建設されたものが基礎となっていると、李登輝台湾総統も述べている。
台湾で最も有名な日本人は、当時、東洋一と言われた巨大なダムを造った八田與一(ハッタヨイチ)、彼は、10年もかけて、嘉南大圳(カナンタイシュウ)と呼ばれる水利設備を作り、干ばつに悩まされていた15haの田畑が恩恵を受けるようになった。八田のダムのおかげでコメの収穫は6倍に増えたという。今でも台湾の中学の教科書に彼の功績が紹介されていて、台湾の歴史上の人物だ。
毎年氾濫を起こす宣蘭河は、蘭陽平原の民衆を苦しめていたが、西郷菊次郎、約1年半、延べ約74万人の人員を投入して、治水工事を完成し、水害を根絶た。感謝した民衆は彼の功績をたたえて3m以上もの巨大な石碑を立て、今も残っている。
農業振興の分野では、サトウキビの品種改良、耕作方法の改善などで大きな功績を遺した農学博士・新渡戸稲造産糖は1900年の3万㌧から1940年には160万㌧に急増、世界有数の産地となった)、コメの品種改良により、収量性、耐病性、味の優れた画期的な品種「台中65」を開発した農業技術者・末永仁及び磯永吉の名が今でも台湾に残る。
日本による統治当初17万人いた阿片吸引者は、阿片を専売制にしたことで、50年後にはゼロにすることに成功した。風土病が蔓延していた台湾に、当時の日本本土にもなかった上下水道を完備して、社会衛生インフラを整備した功績は、民政長官・後藤新平(医師、後の東京市長)に帰する。彼は、伝染病を抑えるために、台湾医学校も設立して、多くの台湾人医師を育てた。当時、ほとんど都市の形をなしていなかった台北市大都市計画を実行し、整然とした清潔な市街を作り上げたのも彼の功績だ。道理で台湾の人は日本人に親切にしてくれるのだとわかった。