アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

長期逃亡のご利益

 元オウム真理教菊地直子46才)の無罪が確定した。1995516日の東京都庁小包爆弾事件の共犯(当時24才)として特別手配されていたが、17年間逃亡を続け、20126月、運悪く、同居男の親族の目撃情報から潜伏先住宅に帰宅したところを逮捕された。地下鉄サリン事件3件のVXガス事件で取り調べを受けたが、いずれも事件から時間が相当経過していたことから不起訴となり、東京都庁小包爆弾爆破事件で、原料の薬品を山梨県上九一色村の施設から八王子市のアジトまで運搬したとして起訴された。都庁小包爆破事件では、小包を開封した都庁男性職員(66才、当時44才)が、左手すべての指と右手親指が吹っ飛ぶ重傷を負った。

殺人未遂ほう助罪で懲役7年を求刑された一審東京地裁裁判(裁判員裁判)では、この事件を指揮命令した井上嘉浩死刑囚47才)の証言から、教団が何らかの危険な化合物を大量製造していて、殺傷事件の手助けをすることを菊地が認識していたと判断され、懲役5年の実刑判決を受けた。しかし、二審東京高裁判決では、19前の記憶が曖昧で具体的な事実を思い出すのに苦労している他の証人が多い中、井上証人の証言は、不自然に詳細且つ具体的すぎるとして、証言が否定され、菊地にそのような認識はなかったと結論付けたから、逆転無罪となった。そんな馬鹿なと上告した検察に対し、今回の最高裁判決も二審高裁判決を踏襲し、井上証人の証言を取り入れなかった。

19年前の事件に関し、曖昧でよく覚えていないと証言してくれれば、菊地は無罪になるし、詳細に証言すれば、そんな過去のことを具体的に覚えているはずがないから嘘に違いないとやはり無罪になるなら、これは逃げ得というものではないか。ならば、都庁小包爆弾事件(当日、教祖の麻原彰晃=松本智津夫死刑囚が逮捕されている)発生後すぐに逃亡し、結果的に17年間行方をくらます必要はどこから出てくるのか説明がつかない。その間、ずっと菊地を追いかけていた警察の苦労は何だったのか。2か月にわたる裁判員裁判で有罪判決を出した裁判員の一人は、「自信をもって出した判決が全面否定されるなら、もう裁判員は不必要ではないか」と憤慨している。

都庁で小包を開けて指をなくした元職員も、17年間の逃亡、薬品を運んだ事実がありながら、罪の意識を立証できないということで無罪になるなら、我が国の裁判は犯人の逃げ得を助長するものではないかと、全く判決に納得していないようだ。逃亡後1カ月程度で捕まっていれば、こうはなっていなかっただろう。菊地は、教団の教義には殺人を肯定するような内容もあったと認めており、自分に逮捕状が出ていることも知って逃亡していたのに、捕まってみれば何も知りませんでしたと居直り、そのような人には罪の意識はないと判断する裁判官は、世間一般の常識を持ち合わせていないのではないかと感じられる。

一審の時点で、既に事件発生から19年もの年月が経過していたことが、菊地にとって有利な状況だったのだ。裁判に必要な証拠を集めるには間接証拠を積み上げるしかないが、そこには「時間の壁」が立ちはだかる。捜査段階で都庁小包爆弾事件につき黙秘を貫いたというから、本人がしゃべらず、証人がしゃべっても記憶がはっきりし過ぎるので、爆弾に使われる薬品であるとの認識がないはずだと結論付けてくれるなら、やはり逮捕状が出ているならまず逃げるべきだとならないか。