アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

マケドニア国名論争ついに決着

バルカン半島の旧Yugoslaviaの一つで、1991年に独立したマケドニアMacedonia、人口200万人)の正式国名がやっと決まった。旧Yugoslaviaは、ソ連崩壊に続いて現在は7つの国に分割され、その一つがMacedoniaだが、ギリシャの反対があって、「マケドニア共和国」と名乗ることは許されなかった。旧Macedoniaは広大な領土で、現在のギリシャマケドニアブルガリアアルバニアにまたがる。「マケドニア共和国」の領土面積はマケドニア地方の総面積の約40%に過ぎない。50%ほどは、実はギリシャ北部に位置する。ギリシャが「マケドニア共和国」を認めると、いずれギリシャ北部のマケドニア地方も本家に返せと要求されそうなので、ギリシャが認めてこなかったという。
 
Yugoslaviaから独立したマケドニア1993年国連に加盟したが、国名の決着がつかず、暫定国名「RYROM = Former Yugoslav Republic of Macedonia = マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」のままで加盟し、この状態が先週まで続いていた。四半世紀以上にわたっていがみ合っていたギリシャマケドニアの両首脳は612日ようやく正式国名の合意に至った。「Republic of North Macedonia = 北マケドニア共和国」とする。ギリシャには、いつしかマケドニアを自国領土に取り込めと主張する急進派もいるし、マケドニアにもギリシャ北部のマケドニアはもともと我が国のものよと主張する連中もいる。
 
やっと冷静に話し合いできる両国の首脳が登場して正式国名が決定した。ギリシャのチプラス首相(Alexis Tsipras1974.7.28生)とマケドニアのザエフ首相(Zoran Zaev1974.10.8生)が共に43才の同じ歳で、しかも若いから歴史を変えようという意欲に満ちている。このような人物がそろった時でないと歴史上の大きな仕事はできないようだ。マケドニア2008年、AlbaniaCroatiaと共にEU加盟申請したが、Macedoniaだけ、国名論争の決着がつかないギリシャの反対で認められなかった。同様の理由でNATOにも加盟できていない。
 
若い二人の首脳が合意したことで国名問題は恐らく決着つくのだろう。これから両国の国会の承認という手続きが必要だが、時間の問題で反対派も新国名になびいてくると思われる。アレクサンドロス大王の率いる紀元前のマケドニア王国が、ようやく「北マケドニア共和国」として国際舞台に登場しそうだ。第一次マケドニア戦争(214-205BC)、第二次マケドニア戦争(200-196BC)、第三次マケドニア戦争(171-168BC)、第四次マケドニア戦争(149-148BC)ですべて共和政ローマに負けて運命が狂ったマケドニアだが、2000年以上の時を経てようやく「マケドニア」という正式名の国家が誕生した大変意義深い年になった。
 
やはり、歴史を動かすのは若い力だとつくづく思う。米国大統領に就任したJohn F. Kennedy43才だった。フランスのMacron大統領は40才。それに比べてTrump 72才、習近平プーチン65才、このあたりには何を期待してもろくな実績を残すことはなさそうだ。日露領土問題が解決する可能性は限りなくゼロに近い。