アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

元オウム幹部たちの運命

オウム事件で死刑判決を得た者は13人いる。6日死刑執行されたのはそのうち7名。その中の一人、遠藤誠一死刑囚(58才)は札幌生まれ、帯広畜産大学獣医学部から京都大学大学院医学研究科博士課程中退の秀才だ。生命の本質が単なる遺伝子ではなく、何か精神的なものがあるのではないかと疑問を持ち、オウム真理教に入信した。炭疽菌の培養やサリン製造などを担当していて、サリン事件の犠牲者の数、負傷者の数から、極刑は免れないと死刑になった。処刑されるまで教祖浅原に帰依していた獄中信者と見え、遺体の引渡先をオウムの後継団体アレフと指定していた。アレフで聖人・仏並みに扱われるのだろう。
 
地下鉄サリン事件サリン散布の実行犯の一人として逮捕された林郁夫受刑者(71才)も遠藤死刑囚と同格の元幹部だが、彼は死刑にはならず、無期懲役で済んだ。慶応大学医学部卒の医者、心臓外科医で米国の病院で研修も受けた優秀な人材だが、医学で助けられない場面にも出くわしたことから、遠藤死刑囚同様、人間を救うには医術以外に精神的な何かがあるに違いないとオウム真理教に入信した。全財産(8,000万円)を教団に寄付して一家4人で出家したというから、同じ医者である妻も二人の子どもも林受刑者に説得されたのだろう。
 
地下鉄サリン事件サリン散布の実行犯5名のうち、彼だけが検察の求刑段階から死刑ではなく無期懲役だったのには理由がある。オウム教団の内情はなかなか外部に漏れず、誰がどんな役割を果たしていたのか検察は実態をつかめないでいた。信者監禁容疑で逮捕した林受刑者に接した捜査官が目の前の容疑者を敬意をこめて「先生」と呼び、被疑者扱いしなかったことから、徐々にオウムに入る前の自分を思い出し全面自供してその後の浅原逮捕などにつながったようだ。彼の自供がなければ警察はもっとてこずっていたはずで、結果的には司法取引のような扱いになった。本来、人の命を助ける立場の自分がサリンをまいて人を殺し苦しめるのは罪深いことだと反省し、オウムの組織の実情を詳しく教えてくれたおかげで、その後の捜査が一気に進んだという。恩赦の対象になる可能性があるだろう。彼がいなければオウムはもう一事件起こしていたかもしれない。
 
浅原の右腕に上祐史浩55才)という男がいた。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程を修了、幹部のくせに自分が関わった事件が未遂に終わったり証拠がなかったりして、オウムの重要な事件と関わりがなかったとみなされ、土地取引に絡む偽証と有印私文書偽造・同行使の軽い罪で懲役3年の実刑になる。教団が武装化を進めている時に、浅原から武器調達などロシア担当を命じられ、地下鉄サリン事件の当時はロシア支部長として国外にいたのが幸いした。尊師浅原とは決別したとはいうものの、3年の懲役刑を終えて出所すると、オウム後継団体アレフAleph)の代表になり、アレフが主導権争いで内部分裂するや「ひかりの輪」という別団体を立ち上げ、宗教団体を主宰している。遠藤誠一死刑囚や林郁夫受刑者と同格ながら、懲役3年にしかならず、刑期も終わって今は自由人。信者殺害事件などに関わっていたと自分でも言っているが、証拠がないため立件されず、尊師面をして生きている。オウム外報部長の頃は100%嘘の発言ばかりしていたが、嘘では軽犯罪法違反くらいの罪にしか問われず、これから本性を現す危険人物No. 1と思われる。