アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

ハワイ王国最後の女王

 ハワイ諸島を統一したのは有名なカメハメハ大王(1世)だ。西欧から武器を集めて、各島を統治していた王たちを自分の傘下に収め、1795年ハワイ王国を築き、初代国王に即位した。その後Kamehameha 5世まで続いた後、6代目と7代目の国王は議会で選ばれた。7代目Kalakaua国王が死去した後、彼の妹のLili’uokalani女王が、1891年、即位するも、その頃、ハワイのサトウキビ産業を抑えていたアメリカの白人農場主たちは、共和制を主張して、王政を廃止しようと画策していた。

 

 ミャンマーに現に起こったクーデタのような武装蜂起により、王政廃止派(共和制派)は、王宮に、アメリカ臨時政府を設置することに成功、米国大統領もハワイ併合条約に署名するに至り、Lili’uokalani女王は即位2年で女王の座を追われることになる。民主主義国アメリカが、このような野蛮な王国乗っ取りをするとは思いもよらなかった女王Lili’uokalaniは、それでも王国復帰の望みを持ち続け、1895年には王政派のWilcoxなど191人による共和国に対する反乱を起こすも、大国の武力にはかなわず、全員捕らえられ、そのうちの6人には死刑判決も出された。

 

 女王Lili’uokalaniは自分を慕ってくれていた191の解放を条件に、自ら女王の座を降り、1898年、正式にハワイは米国準州になった。その後、1959年には正式にアメリカ合衆国第50番目の州に編入されたのだが、女王が米国に女王の座を追われる40年前の1853年、Perry艦隊が日本に押し寄せてきた。当時の徳川幕府は、ハワイ王朝よりは厳格に国土を統治していた上に、日本の国の規模もハワイより格段に大きく、植民地にできるような状態ではなかった。幸い、日本はいくつかの港を米国に開放するだけでPerry艦隊による植民地化を免れた。

 

 黒船が日本に開国を迫ってくる直前、米墨戦争があり、アメリカはメキシコからテキサス共和国を併合(1845年)し、カリフォルニアを奪って米領土(1848年)にした。TexasもCaliforniaも今はアメリカの重要な州だ。軍事力により領土を奪うのは軍事大国の常套手段。

 

 1898年、ハワイ王国を併合したアメリカは、同年、米西戦争でスペインに勝利し、スペインの植民地だったフィリピンを植民地にした。そのスペインから1902年独立したキューバアメリカは深く関与し、実質的に独立国Cubaを支配下に置いた。Fidel Castroアメリカに反乱を起こし、共産国Cubaにして、アメリカ資本を没収したものだから、アメリカはいまだにCubaに対して経済制裁を続けている。ハワイ王国併合といい、民主主義先進国が行う行為ではない。

 

 プーチンが2014年、ウクライナからクリミア半島を奪い、ロシア領に併合した事実を、米国・EUなどは野蛮な略奪と非難したが、アメリカがこれまでやってきたことは、プーチンがやっていることと何ら変わらない。ハワイ王国最後の女王Lili’uokalaniは1917年Honoluluで死亡した(享年79才)。音楽が得意だった元女王が作った名曲Aloha Oeは、彼女がアメリカ占領軍に幽閉されていた時期に作られ、祖国と捕虜になった仲間を想う物悲しい運命を表現したものだそうだ。