友人のご母堂(中条愛子さん)が8月に亡くなっていたと知らされた。101才8カ月の人生だった。友人が同じ大学寮で同室しかも同郷(北海道)という縁で、帰省した時は上川町・安足間に遊びに行ったり、僕がその後結婚するときはお母さんも結婚式に来てもらったりと、初めてお会いした時から55年ほども付き合っていただいた。2年前は100才の誕生日を大家族で盛大に祝い、いつまでも元気で生き続ける人のように皆に思われていた。昨年12月、101才の誕生祝を送ってあげて、Lineで長い手紙を送ってくれたのが最後のやり取りになった。
ご主人が亡くなっても、愛着があるからと95才まで安足間の家に一人住まいしていたが、転んでけがをしてからは、諦めて札幌の娘さん一家の元で暮らすことに同意した。安足間の家には、ご主人のお骨と早くに亡くした次男のお骨を残していて、自分が死んだら3人分一緒に納骨してもらうと言っていた。夢がかなって、10月に安足間のお墓に3人分一緒に納骨されたという。
元々文学少女だったようで、文章を書くのが好きだった。1969年1月15日成人の日のNHK「こんにちは奥さん」というテレビ番組で、20才の若者と20才の子を持つ親の対談という番組があって、中条愛子親子が出演した。全国の20才の子を持つ親からNHKが作文を募集して、男の子を持つ親と女の子を持つ親が2人選ばれ、それぞれ親子セットで出演した。北海道から東京までの交通費はもちろんNHK負担。20才の男の子は、友人も連れてきていいということになり、僕も同じ大学寮の友人として、生涯でただ一度だけNHKテレビに出させてもらった。このお母さんがいなければ、僕は一生テレビに出る機会もなく死ぬところだった。彼女の作文が高く評価されたから、全国でただ二人の親として選ばれたのであり、ついでに僕までテレビに出させてもらって、いくら感謝しても感謝しきれない。
先日、Spainで世界最高齢の117才の女性が亡くなったとのニュースがあり、このスペイン人が亡くなった後の世界最高齢は日本人、兵庫県に住む116才の女性と発表された。中条愛子さんが後12年頑張ったら、もしかして日本最高齢、世界最高齢になれるかもしれない、その時を見届ける自分は87才になっているのだろうと想像していたが、その願いは叶わなくなった。こうなったら、自分が頑張って日本最高齢を目指してみようとも思うも、既にこの齢で腕が上がらないとか、体全体にガタが来ていて、とても101才まで持つか大いに疑問だ。ならば、寿命が来るまで極力元気で、他人に迷惑かけずに生きることができれば、それで良しとしよう。