1970年Coup d'étatによりSyriaの大統領になった独裁者Hafez al-Assadが2000年死亡、その息子(次男)Bashar al-Assad(58才)が後継独裁大統領になって24年、ついに12月8日付けをもって国外逃亡を果たし、合計54年続いたal-Assad親子によるSyria独裁政権が崩壊した。思えば2011年10月、アラブの春と言われた民主化運動で、同じく強権政治を続けていたLibyaの独裁者「大佐」Gaddafiが反政府勢力に捕まって血まみれになって殺された映像を見たはずだから、反Assad政府軍が首都Damascusに迫っているという情報に、独裁者の最後を思い浮かべたに違いない。
Bashar al-Assadは反Assad政府軍の勢いに驚き、11月28日モスクワでPutinに軍事支援を求めて交渉したが、Ukraine問題で北朝鮮軍の力も借りなければならないロシアにそんな余力はなく、きっぱりと拒絶された。Iranに軍事支援を頼むとIsraelがSyriaもIranも空爆するので、Iranには頼めない。逃げるとしてアラブ首長国連邦(UAE)に亡命を打診するも、100回以上にわたる化学兵器使用の実績がある独裁者の亡命を許せば、国際的な反発を招くとUAEに断られた。仕方なくロシアにBashar al-Assadとその家族だけの亡命を認めてもらったというのが真意らしい。
しかし、援軍派遣を拒絶され失意のうちにモスクワから戻った独裁者は、側近にも閣僚にも軍司令官にも「ロシアの援軍がやってくる」と嘘をついて、自らの逃亡計画を秘匿していた。妻と子らを一足先にロシアに送り、自分は弟にも親族にも逃亡計画を打ち明けず、12月7日まで表向き平静を装っていたようだ。8日の朝、ロシアの空軍基地からモスクワに逃亡したことは、実弟Maher al-Assad(精鋭の陸軍第4装甲師団司令官)にも知らせず、この弟Maherは、兄・大統領の国外脱出の報をきいてすぐにhelicopterでイラクに飛び、その後ロシアに入ったという。母方の従兄弟2人は、反Assad派のSyria国民連合が首都Damascusに突入したため、自動車でLebanonに逃れようとしたところ、途中で待ち伏せ攻撃を受けて1人が死亡、もう1人は負傷して捕まった。
親子二代にわたってSyriaに君臨した独裁者al-Assad、反体制派はことごとく捕まえ拷問・処刑・死刑にするから、54年も長持ちしたともいえるが、息子Bashar al-Assadの残忍さは父親をしのぐ徹底したもので、アラブの春と言われる2011年から国外逃亡するまでの14年間で、少なくとも30万人の市民を虐殺した。統計がないから正確な数字は不明だが、行方不明者を含めると2倍にも3倍にもなるはずだ。人口2,200万人の国で、国内外に1,300万人もの難民を作り、自らは王様のような贅沢な御殿に住んで、高級車を百数十台も収集していたというから、ロシアに亡命させず、Libyaの独裁者のような最期にすべきだったと残っているSyria人は思っているだろう。
独裁者が去ったSyriaの将来は、利害の異なる複数の反Assad派集団がどうまとまるかという難しい問題が待ち受けている。Islam過激派を排除した国民連合が新生Syriaの代表としてまとまってくれるといいのだが、この混乱に乗じてIsraelがGolan高原(Syria領)に進軍、領土を略奪しているというから、Syriaの将来は、独裁者がいなくなっても、バラ色とは言えない。