アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

独裁者が支配したスペイン

チュニジア革命により独裁者が追い出され、その勢いがアラブの独裁政権諸国(エジプト、イエメン、ヨルダン、スーダンアルジェリア等)に広がろうとしているが、少し前のスペインにも独裁者が君臨していた。選挙で選ばれた人民戦線内閣に反対する軍部のフランコ(Francisco Franco, 元モロッコ外人部隊司令官)がファシスト国家ヒットラー及びムッソリーニから大量の武器・兵員の援助を受けクーデターを起こして始まったスペイン市民戦争を経て、最終的にスペインのフランコ独裁政権が生まれてしまった。一応1936年から死亡する1975年まで約40年間この独裁者がスペインを支配していた。スペイン市民戦争(1936-1939)では、フランコは国内では資本家・地主・教会等の支持を受け、一方の人民戦線側は共和国側の王党派・共産主義派や労働者の義勇軍、更には共産党ソ連の支援もあって、国内がフランコ全体主義対人民戦線民主主義の戦いになった。この市民戦争を一層複雑にした原因の一つに強大な力を持ちつつあった無政府主義者の活動もあったようだ。彼らは一切の「政府」に反対するからフランコの敵でもあり人面戦線側の敵でもある。この市民戦争は結果的にはその後勃発する英仏対独伊の第二次世界大戦の前哨戦のようなものになったが、不幸なことに英仏は大義を考えずスペインの内乱(内戦)には内政不干渉の立場から中立としたため、市民戦争にとっては無政府主義者類似の効果をもたらし、ついにはファシスト側の勝利になってしまった。倒された方の共和国政府はその後メキシコ、次いでパリにおいてスペイン共和国亡命政府として存続したから日本歴史における南北朝時代類似の歴史を持つ。スペイン国外で存続した共和国政府は1975年のフランコ死後Juan Carlos I(現国王)が国王として即位し、国会総選挙で民主主義政府を樹立することを承認したのを機に、1977年亡命政府から国王に大政奉還した。多数のスペイン人にとって40年に渡り続くフランコ統治の時代は暗黒の時代であり、フラン(スペイン語ではfranco)というEU共通通貨は絶対に受け入れられない選択肢だったのだろう。僕が1971-1972年にかけてバルセロナ大学で聴講していた頃、カタルニア歴史の授業の終わりころに一人の学生が「教授の授業粉砕!」と叫んで演説を始めたことがあったが5分もしない間に教室に潜り込んでいた私服警察とおぼしき者が彼を教室から連れ出し、翌日学生たちにきいたら恐らく二度と彼に会うことはないだろうと言っていた。フランコの恐怖政治を目の当たりにした瞬間だった。当時の日本の大学で「授業粉砕!」と叫んで教室で演説をしても警察に引っ張られることはあり得なかった。