アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

チェルノブイリの悲劇

旧ソ連チェルノブイリ(Chernobyl)重大原発事故が起きた1986年から25年後に福島第一原発事故が発生した。当時はソ連の時代で情報は全て隠されていたから被害が必要以上に拡大したと言われるが未だに正確な死者・被曝者数など当局も把握しておらず永遠に闇に葬られるだろう。現場から当時のソ連最高責任者ゴルバチョフ書記長に対しても「火災発生」とだけ報告され、彼がKGBを使って現地調査し核爆発事故だったと認識したのは事故発生から1週間以上経過後だった。広島原爆の400-500倍の放射性物質がほぼヨーロッパ全域にまき散らされたが、その間に共産党の国では一番大事なメーデー(5月1日)の大街頭行進があり何も知らされていない多数の国民が街頭で被爆した。耐震構造になっていない原子炉のところに夜中の1時頃地震が発生して炉心溶融・核爆発・火災が起こったとされ、高濃度の放射能汚染地域は半径300km範囲、事故当日の即死者は現場作業員を中心に約3,000人、長期的観点からみた死者数は十数万人とも数十万人とも言われている。セシウム137、ストロンチウム90という生体に悪影響のある放射性物質半減期は約30年というから、人体に摂取されたこれらの放射性物質は人間の寿命よりもはるかに長期間体内に残留する。ヨウ素131の影響を受けやすい6歳以下の子供の甲状腺癌の発生率は事故後10年間増え続け1995年の統計ではヨーロッパの平均の20倍に達した。被曝による甲状腺癌患者の80%は若い女性なので日本のNPO医療団が今も内視鏡手術による傷跡の少ない手術方法を現地で教えている。当時ソ連当局は第二次核爆発を恐れ消火活動にヘリコプターを使って鉛を数千トン原子炉めがけて投下したが、動員された軍のパイロット600人のうちで未だに生存しているのは数名のみ。その原子炉を廃炉にするにも大変な犠牲を伴い、長さ170m高さ66mの石棺(分厚いコンクリートの棺)を作るのに作業員50万人以上を7ヵ月動員し全員を被曝させた。原子炉の上部は放射能が強すぎてがれきの除去作業にロボットも使えなかったのでバイオロボットと称して3,500人の特殊作業員を動員したが彼らの大半は犠牲になっている。100-150Sv/h以上の放射能の環境下30kgの鉛の防護服を着用して1分間作業しただけで、吸血鬼に全身の血を奪われたような感じと生き残った作業員が述懐している(25Sv/hは致命的とされる)。一秒ごとに死の危険が迫る中で空気は鉛の味がして、手は握ることができないし、確実に死ぬと誰でも分かったそうだ。チェルノブイリの半径30kmは25年経った今も居住不可能地域だ。人間が住むためには表面の土を少なくとも30cmは掘り起こして入れ替えなければならず、放射能まみれの土の処分も不可能だから未来永劫この地に人間が住めることはないだろう。巨大石棺の建設にこれだけの人的犠牲を出し大地を破壊し180億ルーブル(2兆円以上)の国家予算を使ったゴルバチョフ書記長は原発は割に合わないと結論付けた。その石棺もその後の劣化で放射能が漏れ出しており、旧石棺を覆う新石棺(new shelter)の建設が急務だが今のウクライナにはそんな莫大な財源がない。1997年世界中で資金を出して新石棺を建設しようとChernobyl Shelter Fundという基金が設立されたがまだ建設は始まっていない。その間も旧石棺の亀裂から24時間放射性物質は漏れ出し地球上に広がっている。