アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

カタルニア史上最後の闘牛

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この日曜日(25日)スペイン・カタルニアで最後の闘牛が行われた。バルセロナのMonumental闘牛場に史上最後の闘牛を見物に来た観客は約2万人。闘牛場の外では闘牛反対派と賛成派の小競り合いがあったと報道された。昨年7月のカタルニア州議会で2011年末をもって全ての闘牛を禁止するという州法が賛成多数(賛成68/123 = 55%)で成立したため、夏の間の日曜日しか行われない闘牛の最後が9月25日になったのだ。数百年の歴史を誇る闘牛だから、動物愛護の観点から反対派が過半数になったとはいえ、相変わらず闘牛賛成のカタルニア人もなかなかゼロにはならない。闘牛賛成派の主張は、闘牛は人の知恵と獣の力の対決を芸術に仕上げたスペインの文化であるというものだ。2時間の闘牛で6頭の牛が出てきて、1頭あたり約20分でとどめを刺されて殺される。心臓に剣が刺さってもまだ息をしているので最後は闘牛士が頭の付け根を短剣でついて息の根を止める。死んだ牛の角にロープをかけて二頭の馬が約400-500kgの牛を闘牛場の外に運び出す。これを6回みるとその日の闘牛が終わる。牛にも立派な骨があるから、動く牛の背中から背骨をはずして心臓をめがけて一度で長い剣を差し込むのは一流の闘牛士でないとできない。バルセロナ最後の闘牛で現代の第一人者闘牛士José Tomás(36才)はこれをやって大喝さいを受けた。何度目かでやっと剣を差し込む闘牛士は単なる殺し屋で人気がない。闘牛場で殺された牛の肉は翌月曜日の市場で売られる。闘牛賛成派は牛は動く機械にすぎず、理性がない、心がない、感覚がない、従い痛みを感じない(デカルト、動物機械論)と信じている。それに対して闘牛反対派は、言語を持たない動物でも痛みや苦しみを感じることができるのであり、闘牛は命ある生きものの虐待そのものであるから野蛮だと主張する。スペインで闘牛(bullfight)という娯楽があるように、その昔、イギリスでは伝統的にbullbaiting(牛いじめ)とかbearbaiting(熊いじめ)という娯楽(見世物)があった。牛や熊を鎖でつないで半径5メートル以上動けないように固定し、そこに野獣を襲うように訓練した犬(bulldog)を数匹放し、牛や熊を襲わせるのだ。ブルドッグ(bulldog)は牛の鼻や口に襲いかかり数の力で大きな獣が苦しみ負けるのを人間が見て楽しんでいた。これが1835年イギリスで動物虐待防止法(Cruelty to Animals Act)の成立をもって禁止された。さすが紳士の国だ。しかしスペインではいまだに動物虐待を禁止する法律がない。カタルニア州だけがようやく闘牛を禁止しただけでマドリードなど他のスペインでは来年の夏も闘牛をみることができる。犬とつき合ってわかることは、犬は言葉こそ話さないが、人間同様に怖さ、痛み、苦しみ、喜びを感じるということ。従い、牛も痛みや苦しみを感じるはずであり、闘牛はやはり動物虐待の典型だと断言できるだろう。スペインは遅ればせながら、まずはカタルニア地方から動物に優しい国に変身し始めたのだと考えたい。