アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

5人目の懲役6,000年超の罪人

先週中米グァテマラで懲役6,060年の判決を受けた男がいた。元兵士のPedro Pimentelは1982年Dos Erresにおける虐殺事件において少なくとも201人を殺害したと立証され、更に今となっては証拠もなく実際何人を殺したかわからない人道に対する罪にも問われていた。裁判では殺害された201人1人につき懲役30年、201人分で懲役6,030年、それに人道に対する罪として懲役30年を加えて、合計懲役6,060年と算出した。今から6,060年服役すれば娑婆に出られるということだがあり得ないわけで、いっそのこと死刑にした方がすっきりするようだが、グァテマラには死刑制度がない。1960-1983年の間の独裁政府軍対左翼ゲリラの市民戦争が特に激しく、最終的にこの市民戦争が終結したのは1996年のことである。共産主義を忌み嫌う米国が独裁政府軍に資金・武器を供与したため、左翼ゲリラが一人でもいると判断した場合、その建物丸ごと燃やしてしまうという「焦土作戦」、強制連行後行方不明・拷問など独裁政府軍にわずかでも批判的な人間はすべて国内から消してしまったので、現在1,400万ほどの人口だが平均年齢は20才だ。マヤ族に至っては20万人強が惨殺されたという。グァテマラは1976年の大地震で死者25,000人の被害を記録したが、独裁政府軍による日常的な殺戮があまりにも激しく、人災で死ぬよりは天災で死んだ方がよほどましだったと言われたほどだという。昨年4人の元独裁政府側兵士が当時の虐殺責任を問われ全員懲役6,000年超の判決を受けたところで、先週のPimentelは5人目の懲役6,000年超ということになる。これらの政府軍に資金・武器を供与したことが結果的に大量の市民の残酷な虐殺につながったということを認め謝罪したのはBill Clinton大統領だった。1992年ノーベル平和賞を受賞したグァテマラの先住民女性Rigoberta Menchuは人種皆殺し(genocide)にされかけたマヤ族の人権擁護のために尽くした功績が認められた。1992年はコロンブスアメリカ大陸発見から丁度500年、西欧人に「発見」された中米の原住民のその後の運命は「発見」されなかったほうがずっと良かったのだ。