アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

尊厳死宣言の勧め

身近な人が意識もなく病院で単に生かされている状況に遭遇して、初めて自分の最後はどのように迎えたいか、ふと考える。口から食事を取れなくなった場合に胃ろうや点滴をしてほしいか。心肺蘇生や人工呼吸、延命治療を希望するか。自分がいずれ意思表示できなくなった場合に、自分の望みが医療関係者などに伝わるようにしておくと、尊厳をもってこの世を去ることができる。「立つ鳥跡を濁さず」だ。

このような希望はしっかり意識のある時に尊厳死宣言公正証書を残しておくことで可能になる。要点は以下3点。
私が将来不治の病気にかかり、死期が迫っている場合、
1 死期を延ばすためだけの延命措置は一切行わないこと。
2 但し、苦痛を和らげる処置は最大限希望する。その副作用により死亡時期が早まっても構わない。
3 私に上記の症状が発生したときは、私は人間として尊厳を保った安らかな死を迎えることを希望する。

尊厳死とは「尊厳の喪失故に限られた生を放棄することによる生命短縮」と定義される。もはや自分の意思表示ができない状態での尊厳死(生命の短縮=殺人)を実施するのは、家族や医療関係者等他人だから、例えば治療を中止する行為は、わが国では殺人罪の構成要件になり、刑法§202(自殺関与&同意殺人)の自殺ほう助(最長懲役7年)となる。

一方、神に授かった命を自ら断つことは最大の罪とみなすキリスト教の国アメリカでは、自殺は悪だが、個人の自己決定権が尊重され、終末期の患者には絶対的とも言うべき治療拒否権が認められる。全ての治療を拒否する権利、治療の中止を求める権利が認められ、患者やその関係者が、人工呼吸器・栄養チューブのような生命維持装置を撤去するのも合法だ。自分が生きている間の自分に関する事柄を自分で決める自己決定権の範囲とみなすのだろう。結果的に生命を短縮する行為であるから、自殺と本質的には異ならないはずだが、延命治療が高額であり、医療保険が日本のように発達していない米国では、医療費負担の経済力のない者には自己決定権として合理化しているのだろう。尊厳死を選択する患者にも、これ以上の医療費に耐えられないという患者にもPAS (= physician-assisted suicide=医師による自殺ほう助)は合法的に認められる。

安楽死(肉体的激痛を除去するための切迫した状況下での生命短縮)すら認められない我が国で、肉体的苦痛の存在しないはずの尊厳死を実現しようとしたら、尊厳死宣言書しかない。尊厳をもって安らかに生を全うしたいものだと思う。
「生きる」=「死ぬ」(007 lives twice. = 007は二度死ぬ