アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

米国が失った二人の「女子柔道の母」

講道館九段の福田敬子師匠が2月9日99才で亡くなった。女性柔道家講道館九段は世界唯一、最高位である。福田師匠は、講道館創始者嘉納治五郎柔術の師匠・福田八之助の孫だ。講道館五段の時、40才の福田師匠は米国に柔道の指導に行きその後、ずっと自分の柔道場で弟子の指導にあたり、54才から65才まではMills Collegeの体育の教授として柔道を教えた。51才の時、1964年東京オリンピックの女子柔道エキシビションで「柔の形」の演武を披露したのも彼女だ。柔道の指導に関する本も出版し、一生を女子柔道の普及にささげ、米国の「女子柔道の母」と言われるだけでなく、「世界の女子柔道の母」と言われている。2011年、米国柔道連盟は福田敬子師匠に女性柔道家として初めて十段を授けた。これまた最高位である。亡くなる直前まで後進の指導を続けていたという。

福田師匠がSanFranciscoの道場で柔道を教え始めたころ、New York(Brooklyn)で路上のならず者(street gang)と呼ばれていた米国生まれのユダヤ人女性(single mother、10代で結婚して子供をもうけ、間もなく離婚)が、ひょんなことから、鹿子木リョウヘイという柔道家の道場に行き、すっかり柔道の虜になった。もともとRena Glickmanという名だが、その後柔道の師匠と結婚してRena Kanokogiとなるも、犬の名前をニックネームにした Rusty Kanokogi(ラスティ・カノコギ)として全米に知られる。

Rusty Kanokogi 24才の時(1959年)、 New York州で開催されたYMCA柔道選手権団体戦で、負傷した選手の代わりに胸に布を巻いて男子に見せかけ出場し、一本勝ちを決めた。チームも優勝して金メダルを獲得したが、当時は米国に女子柔道選手はほとんどおらず、この大会も男子の大会と考えられていたため、出場規定に性別が決められていなかったにも拘らず、試合後に女子と判明したRusty Kanokogiだけが金メダルを剥奪された。この女子柔道家に対する侮辱から、彼女は女子柔道を国際公認のスポーツにしようと運動を開始、ついに1992年のBarcelona Olympicsで正式種目とすることに成功した。米国柔道連盟七段。

Rusty Kanokogi師匠が全力を注いだ米国の女子柔道は、2012年London Olympicsで初めて米女子柔道に金メダルをもたらしたKayla Harrison選手(78kg級)で頂点に達したといえる。残念なことにこの「米国女子柔道の母」は、自分が育てた選手の金メダルを見る前、2009年11月、74才でこの世を去る。しかし、YMCAは50年前に彼女から剥奪した金メダルを、彼女が亡くなる3ヵ月前に、詫び状と共に返還し、米国女子柔道の母の生涯に渡る献身的な貢献に対して、最大限の謝辞を送ったのだった。2008年には日本政府から旭日小綬章も受章し、現在は国際女性スポーツ殿堂に所属する。

福田敬子師匠及びRusty Kanokogi師匠という二人の「女子柔道の母」のおかげで女子柔道は世界のスポーツとして確立したにも拘らず、柔道発祥元の我が国で、女子柔道の監督による暴行事件がおこるとは、何と霊前のお母さんにお詫び申し上げればよいのか、悲しくて言葉にもならない。