第55代横綱北の湖が62才で亡くなった。直腸がんとのこと。北海道の故郷洞爺湖にちなんで「北の湖」と命名された。有珠山が爆発したように彼の相撲経歴も爆発した。8人兄弟姉妹の7番目、13才、中学1年で既に体重100kg身長173cmと、現役時代の元小結舞の海より大きい。しかも柔道が得意で、中1で初段というから根っからのスポーツ選手だ。中学1年の時に三保ケ関部屋に入門して、中学校も北海道から東京に転校、中学卒業直前(15才)には幕下に上がっていた。
17才で十両、18才で幕内、そして、21才で横綱だ。もちろん最年少横綱の記録はまだ誰にも破られていない。憎らしいほど強い横綱だった。現に、めっぽう強い横綱として大鵬、貴乃花などいるが、彼らはいくら強くても「憎らしい」と思われず、すべての日本国民に愛されていたように思う。この違いはどこから出てくるかと思うに、北の湖の体格だけではなく、その土俵上のしぐさにも関係しているのではないか。
相撲は勝者と敗者がはっきりしている。勝った者は自分のほうが強かったから勝ったのであるが、連勝は未来永劫続くものではなく、明日は自分も敗者になる可能性がある。敗者に対して、彼が起き上がる時に手を貸すのは、勝者のゆとりというか、敗者に対するせめてもの配慮ではなかろうか。しかし、北の湖は、自分が負かした相手に手を貸すことをしなかった。自分が負けた時に、自分を負かした相手に起き上がる手助けをしてもらうのは、屈辱と感じるからだそうだ。しかし、大鵬も貴乃花も、自分が負かした相手に手を貸していた。痛めつけられた巨大な体を起こすのだから、助けがあったほうが敗者にとって楽なはずだ。気分も落ち着くだろう。勝つか負けるかしかない世界だから、相手を恨む必要もない。
結論として、横綱北の湖には、敗者に対する思いやりがなかったから、「憎らしいほど強い横綱」のイメージを与えたのではなかろうか。当時、強い野球選手で江川という投手もいたが、彼も姑息な方法で巨人に入団した経緯もあり、あまりにも強すぎたので、一般的な日本人に嫌われていた代表の一人だ。北の湖は横綱在位63場所、10年間にわたって横綱を張った怪力力士だが、日本人が憧れる横綱ではなかったように思う。優勝回数24回は、輪島のような強敵横綱のいた時代だから白鳳の35回と比べるとやや控えめな記録に見えるが、彼ぐらい憎らしいほど強いと思われた横綱も他にいないだろう。