アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

史上初、世界津波の日

明日115日は、国連が「世界津波の日」を定めてから迎える史上初の世界津波の日だ。18541224日(旧暦では安政元年115日)夜発生した「安政地震」の際に、濱口悟陵(1820- 1885)という人が、取り入れを待つばかりのたくさんの稲束に火をつけて、火の明かりで集まった村人に津波が来るから高台に上がれと伝え、1,300人ほどの村人の九割が巨大津波の被害から助かった。
 
濱口悟陵は現在のヤマサ醤油の当主。和歌山県広村(現在の広川町)は、湯浅湾の最奥部に位置するため、昔から甚大な津波の被害を受けていたことを彼は知っていて、当時はまだ江戸時代なのに、独学で地震津波の関係を勉強し、たまたま35才の時起こった大地震の夜、本で勉強した津波の兆候に似ていると判断し、これまた当時の貴重な稲束を犠牲にし、大半の村人の命を救った恩人だ。広村は全体が低地にあり、濱口家が火事だと村人が驚いて集まったから、皆で手分けして鐘をついて知らせ、まだ家にいる人を高台に避難させることができた。
 
明治時代の作家・小泉八雲LafcadioHearn)は、濱口悟陵の話を聞いて、彼こそが日本人の信仰する「生神様」であると考え、A Living God”という作品を残している。刈り取ったばかりの稲むらに火を放って村人たちを高台に導き、その命を津波から救い、神として祀られたという内容だ。現在は、広川町に彼の銅像が残っており、町の人々は彼を神様と同列に思っているのかもしれない。
 
津波で村がすべて破壊された後、彼は莫大な私財を投じて、将来再び襲来するであろう津波対策に巨大な堤防を修造した。4年の歳月をかけた、高さ4.5m、長さ670mにわたる堤防建設事業は、津波で住処も仕事も失った村人にとって、生活の糧を得る貴重な収入になっただけでなく、大規模土木工事終了後も村人に津波の危険を忘れないよう思い出させてくれる記念碑となっている。そして、濱口悟陵死亡後、1913年に広村に高波が押し寄せたが堤防が波を防いだため、村の被害は食い止められた。1944年昭和東南海地震による津波の時も、この堤防のおかげで広村は被害を蒙ることはなかった。19461221日、昭和南地震が発生、その時、広村に押し寄せた津波4-5mと言われるが、一部の家が浸水した程度で、人々は津波の被害から免れることができた。
 
濱口悟陵は革新的な考えの持ち主とみえ、坂本龍馬にも資金を提供するなどしていて、明治になってからは和歌山県初代県議会議長になり、64才で亡くなった。しかし、小泉八雲が生神様と讃えただけあって、戦前の小学校読本には「稲むらの火」として彼の功績が紹介されていた。20041226日発生したスマトラ巨大地震mag. 9.3)の後の津波で、死者22-23万人という人類史上未曽有の被害を出してから、津波に対する防災意識の重要性が世界的に広まり、昨年12月、国連が濱口悟陵の功績を讃えて、安政地震後の津波が発生した115日を世界津波の日と定めたのだ。濱口悟陵の時代は、貴重な稲むらを燃やして津波警戒情報を発したが、その後、インドネシアは海岸にスピーカーを設置して、津波情報を発信できるようにしたそうだ。