アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

阪神淡路地震から29年

 阪神淡路大震災(M7.3)から17日で29年になる。我らの住む地球は何とも怪しい星のようで、「地に足」をつけていても全然安心な状態ではない。その大地が地殻でありプレート(plate)と呼ばれる岩盤だが、地球の半径の1%ほどの厚さしかない。我々が大地と思っているのは、地球のほんの一部である浅い表面のことなのだ。地球の半径が6,378kmとして、plateはせいぜい数十キロメートル。岩盤の下にあるマントル(mantle)は地表から2,900kmまでの剛体、mantleの表面は流動性のある剛体なので、これが動く。Mantleは地球の容積の82%に相当する巨大なものだが、剛体ではあっても、我々が考えるほどしっかりしたものではない。なぜならmantleの下(地球の中心部)にある核(core)は、その中心部で364万気圧、温度5,500℃の液体だからだ。この超高温の液体がmantleを溶かして対流させ、その上にあるplateを動かす。

 

 比較的軽い大陸plate(密度2.7g/cm3)の下に、比較的重い海洋plate(密度3g/cm3)が沈み込んで、ひずみができたところで、plateが動き地震が発生する。100年で数メートルplateが動くことが分かっているから、今回の能登半島地震で海岸線が250mずれたというのは、5,000年~1万年分のひずみが解放されたということだろう。いつこの天変地異が起こるかというのは誰も知らない。わかっているのは、南海トラフ(trough, 海底盆地)近辺では、過去1,000年以上にわたってM8規模の海溝型大地震が発生してきた事実だけだ。

 

1707年10月 M8.6(~9.3)宝永地震 (全割れ)       四国~静岡(記録の中で最大規模)

1854年12月23日 M8.4 安政東海地震(半割れ)     紀伊半島

1854年12月24日 M8.4 安政南海地震(半割れ)     四国~紀伊半島(和歌山県広川町「稲むらの火」の地震津波)

1854年12月26日 M7.4 安政豊予海峡地震               大分県愛媛県

1944年12月 M7.9 昭和東南海地震    (半割れ)    紀伊半島~静岡(37日後に三河地震

1946年12月 M8.0 昭和南地震       (半割れ)       四国~紀伊半島(東南海の2年後南海地震

 

 海底盆地の両側に地震が起こると全割れ、片側だけだと半割れとなる。当然全割れの方が衝撃が大きく、1707年10月の宝永地震(M8.6~9.3)は全割れのため、記録の中では最大の被害をもたらした。29年前の阪神淡路震災は、活断層の移動による直下型地震のため、Magnitude 7.3の割には被害が大きかったが、地震のエネルギー自体は、巨大plateの移動ほど大きくなかった。

 

 今回の能登半島地震(M7.6)も2011年9月の東日本大震災(M9)も29年前の阪神淡路震災(M7.3)も地球の営みの一環であり、明日以降も地球のこの営みはずっと続くことを、我々は肝に銘じておく必要がある。