アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

一西ドイツ市民の夢

『この橋を通って百年の長きにわたり共に過ごした国が又いつか結ばれるであろう。ザーレ川は国境の東端でも国境の西端でもなく、我々にとってはドイツの真ん中を流れる川である。』(Auch diese Brücke wird einmal die jahrhundertelang zusammengehörenden Räume wieder verbinden. Die Saale ist weder eine Ost noch eine Westgrenze für uns fließt sie noch immer mitten durch Deutschland.)
1988年5月、出張で当時の西ドイツに行った時、取引先のドイツ人が珍しい場所に案内してくれた。Hofの客先の工場から20-30kmほど離れたところにザーレ川が流れており、その川に半分壊れて当時はもう使えない橋が架かっていた。川の向こう側は東ドイツ、こちら側が西ドイツ。当時東西のドイツに住んでいる者は互いに行き来することができず、従い東西のドイツをつなぐ橋は当然すべて破壊されていたのだ。僕らが見せてもらった橋は半分だけ壊されてなくなっていたが残りの半分だけが半壊状態で存在していて、いかにも壊されたという感じがよく出ていた。ベルリン市内にも壁があり東西が分断されていた頃だから国境の川に架かる橋が壊されて使えないのは当然のことだったし、西ドイツと東ドイツという二つの国が存在していて今後もこの二国が存在し続けるのは当たり前と思っていたのに、西ドイツ側の壊れた橋のところに一西ドイツ市民が上記の看板を立てたのだという。いつの日かドイツが統一されることを祈念して、現在東西ドイツの国境になっている川がまた再びドイツのど真ん中を流れる日を夢見てこの看板を立てるというところが非現実的理想主義者のように思えて、心の中で「あり得ない」と思ったものだ。その後、東ドイツのライプツィッヒに行って東西ドイツの経済格差を目の当たりにした。強制的に西独マルクは東独マルクに1対1で両替させられるもののタクシー料金を払う段になって西独マルクで払ってもらえないか、東独マルクでは欲しいものが買えないと運転手に泣きつかれる。挙句の果てにはホテルの支払いも東独マルクで受け付けてもらえない。早い話が外国人は東ドイツで東独マルクが使えないのだ。東ドイツを出るときに空港で西独マルクに両替してもらえるときいていたが許可に8時間以上かかるという。その後イギリスの両替所に東独マルクの残りを持っていったがその通貨は扱わないと断られた。唯一スイスの銀行が両替してくれたがそのレートは1対8、つまり87.5%の損失だった。東西ドイツ統一なんて絶対にあり得ないといよいよ確信を持って帰国した。ところが翌1989年ベルリンの壁は取り壊されその翌1990年には本当に東西ドイツが統一された。非現実的理想主義者の立てかけた看板と思われたが、長期的視野に立ち理想を求めてひたすら努力するのがドイツ人の精神かとただただ感心させられたものだ。