アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

スペインの血とドイツの精神

スペインの血(Spanish blood)とドイツの精神(German mentality)の組み合わせが子供に残せる最高のプレゼントと教えてくれたスペイン人がいた。スペイン人でありながら、スペイン人はドイツ人の勤勉さを見習うべきだと信じて、自分の子供を(両親共にスペイン人なのに)3人とも全員バルセローナのドイツ人学校にやっていた。ラテンの心を持ちつつ、ドイツ人のように勤勉な人間になってほしいという親の願いから子供の教育はゲルマン方式にすると子供が生まれる前から決めていたのだそうだ。バルセローナのドイツ人学校は当時生徒数千人ほどの大きな学校で、建物もかなり立派であったが、純粋なスペイン人の子弟まで来ているとは知らなかった。一方の日本人学校は生徒数が百人ちょっとの小規模なもので、こちらは少なくとも当時は生徒の100%が日本人であった。ピレネー山脈を越えればアフリカというのはアラブ人とスペイン人に共通する血だけではなく、アラブの「インシャラー」とスペインの「si Dios quiere(神が望まれるなら)」が全く同じように日常生活に入っているからである。「明日また」という時もすぐに「神が望まれるなら」と付け足すのは、口癖だけではなく、本当にそう信じているのではないかと考えられる。明日会う時間までにもしかして事故でどちらか一方が死んでいるかもしれないし病気になって会えないかもしれない。何事もなく無事明日会えたらそれは多分に神が裏で操作してくださったからという方が、事故にあわないように病気にならないように自分が努力したおかげと考えるよりも控えめで正しいのかもしれない。人間一人が努力してできることよりも、神のお力の方が遥かに強力なのだと思われるからだ。でも、商売で掛売り90日とするときに、90日後に払ってもらえるかどうかが売り先の客の意思ではなく神のご意思というのは、売る方にとってはかなり怖い。期日に支払を催促しても色んな理屈を並べ立てて結局神が望まれないから今日は払えないという結論になったりする。せっかくもらった小切手も銀行に持っていったら残高が不足していて現金化できない。客に言うと、悪びれた様子もなく「すまん、すまん、来週別の銀行の小切手を送るから(神が望まれるなら)」という。今やEUは1つなのにスペインだけがこんなインチキをやっていては、やがてEUから出て行け(アフリカに帰れ)となるに違いない。自分の子供にゲルマン式教育を受けさせるスペイン人は、少なくとも仕事上で「神が望まれるなら」という付帯条項をつけずに自力で対処できる能力を身につけさせようとしているのであろう。いい加減なスペイン人をたくさん見てきたが、こんなスペイン人もいると知ってスペインの将来もまんざらではないと思い直したものだ。なお我が国で子供に中国語を覚えてもらおうとわざわざ中華学校にやる親も一部にはあるとニュースになっていますが、この場合、純粋に中国語を覚えてもらいたいという趣旨であり中華思想とか中華精神を叩き込んでほしいなどと考えてはいないと思うので、このスペイン人の発想とは異なるように思います。