アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

ヨーロッパの交通違反

しゃれたパリの警察の話。パリの街でバス停に間違って自動車を停めてちょっとクレープを買いに行き10分以内に戻ってきたところ警察に見つかっていた。外国で罰金かと思いきや単なる置手紙。イタリアのナンバープレートだから外国車、車に張ってあった紙には「パリの印象を良くしてもらうために今回は特に罰金としないが迷惑な違法駐車はやめるよう協力してください」という意味の文章が仏英独伊西の5ヶ国語で印刷してあった。フランスのナンバープレートなら本当に罰金になっていたのかもしれないが、とにかくラテンの警察は人間的で優しい。経験によればイタリアもスペインも大方そうだ。スペインであるとき近道をしようと一方通行の道と知っていたがちょっとの距離なので進入禁止の表示を無視して進んだところ運悪く警察に見つかった。スペインで東洋人の顔をしていれば普通には外国人として通る。「このお店を探すのに気を取られていて進入禁止とは気がつきませんでした」と店の名前を言ったら、外国人ならそうかも知れんと許してくれた。「でも、次はこちら側から進入するのではないぞ」とあたかも親が子に対して説教するように優しく教えてくれて、最後に敬礼をして違反は見逃してくれた。それに比べてゲルマン系の警察は有無を言わさずまず罰金を取る。オーストリアで追い越し禁止のところで追い越して約6,000円くらいの罰金、スイスでシートベルトをしていない現場を見つかって約3,000円くらいの罰金、イギリスで駐車違反の時は車輪を固定されて、はずしてもらうのに罰金約15,000円と、旅先のゲルマンの警察には色々払わされたが、合計14年住んでいたイタリア・スペインではほとんど罰金を払った経験がない。思い返してみるに、ラテンの警察は庶民の言い訳に理解を示してくれるが、ゲルマンの警察は一切言い訳を聞き入れる余地がない。ゲルマン系では警察と一般の運転手は試験監督官と受験生のような関係なのかもしれないが、ラテンの警察と運転手の関係は明らかに親と子、優しい先生とできそこないの生徒の関係であり、警察は「次から他の自動車の通行の邪魔になることをしないように」と諭してくれるものだ。ラテンの警察に慣れて、帰国してから間もなく自動車を買って、ある時性能を試そうと近くの一般道路でちょっとだけスピードを出した途端に日系ゲルマン警察に捕まった。速度制限60kmのところ35km超過につき罰金7万円という。同時に30日の免停となり、その免停を1日に短縮してもらいたければ1万4千円払って6時間の講習を受けろという。「買ったばかりの車なので1度だけ出足を確認しただけ」と言い訳しても一切聞き入れる余裕ない。江戸時代から明治になって警察をどこからか導入すべきかとの議論があったようだが、あの時イタリアの警察制度を導入すべきであった。ラテン警察であればもっと人間的な警察が増えて、我々人間の路上での活動はもう少し人間的になるところであった。ゲルマンにはサービス精神が欠けているから人間に接する警察などという職業には向かない。日本の警察は運転手=顧客に接する態度を改善する為これからでも遅くないから、いつの日かラテン式警察に変貌してほしいと思う。(あくまでも交通警察に関してだけの提言です)