アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

Mr. Franco Rossi逝去

1981年ミラノに赴任した翌年ごろと思うが繊維原料拡販のため代理店として紹介された人がこの人だった。当時100kgほどはあると思われる大男だったが、その後一日二食にして減量に努め20-30kgくらいは体重が減ったと思われる。実家は麻の漂白業、麻の天日漂白には広大な土地が必要であったが、時代は変わって漂白剤を使って工場で作業する時代になり家業をやめたのだが、大土地所有者として働かずに生きることができたのになぜ代理店として働きたいのかわからなかった。付き合っているうちに彼には弟がおり、神父でミラノ近郊の町の教会の責任者であることがわかった。あるときその神父さんの事務所に連れていかれて神の代理人ローマ法王)の代理人とはこういう威厳のある人かということが分かった。一つの土地のことでもめていた二人のどちらも裁判の判決に納得せず訴訟の当事者双方が神父さんに納得のいく裁定を求めてきていた。ちょうど彼らが教会の事務所を出る姿を見たが、争っている様子はなかったのでどんな結果だったかきいてみると、神父さんの裁定には双方とも納得して従うことになったという。教区の責任者は船長のようなもので最終決断を自分一人で下さなければならず、しかも間違った判断は許されないから法律だけではなく全ての分野の勉強を怠らないよう常に勉強していなければならないとのこと。道理で結婚などして俗世界のことに時間をとられている暇がないのだと図書館のような事務所の中で納得した。結婚している兄 Rossi はこの神父になった弟の生き方に大いに影響を受け自分は精神障害者のための学校を経営していた。麻の漂白をしていた土地に50人前後が住める建物と作業場を建てて鶏を飼い畑を耕して食糧の大半を自給自足できるようにしていた。この学校経営のための資金を代理店をして働いたお金で出していたのだ。後に町が費用の一部を補助するようになり指導員も数名の兵役拒否組から出してくれて人件費がかなり軽減されたときいたが、それでもずっと彼は学校の経営と資金投入は続けていたから、いわばイタリアの宮城まり子さんのような人だった。その彼が10月27日夜83歳の生涯をとじたと彼の部下から電話をもらった。この夏休み前まで伊藤忠ミラノ店の代理店として現役で働いていたそうだ。「Mr. Franco Rossiは僕の偉大な商売の師匠であり永遠の人生の先生です」と奥さんのMariaに弔電を発した。彼の弟の神父さんは僕の妻の命の恩人でもある。イタリアにいた時、突然眼圧が上がって頭痛が激しく眼科医に診てもらわなければならない緊急事態が発生したが、どこの眼科医も予約があってすぐには診ることができないという。3カ月後とか8カ月後の予約なら受け付けるというところばかりだったので、なんとかしてと神父さんにお願いしてもらったところ、明日診てくれるという当時ミラノ大学の眼科の教授(Dr. Valerio)を紹介してくれた。おかげで緑内障の一歩手前で抑えることができ失明を免れた。神父さんのおかげでイタリア駐在中ずっとこの眼科医教授に親切に診療してもらうことができ今も失明を免れている。絶大な力を持つ神父さんの兄と知り合ったおかげと感謝の心でいっぱいだ。葬儀は弟の教会で弟が司ったときく。ここ数年会っていなかったのでそのうちイタリアに会いに参ります。それまで安らかにお休みください。