アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

神の技?

バルコニーが壊れて落下した場合、下敷きになった人は天災の犠牲者か、人災と判断すべきか。1980年代の Milano の町で事故が発生、日本人犠牲者が出た。イタリアのレストランは夜7:30に開店するので、開店と同時に入り口を通った日本人が2人いた。一人は僕と同じ会社の出張員、もう一人はその取引先の出張員、2人連れ添ってレストランの入り口まで来たところ2階のバルコニーがくずれて取引先の出張員の頭を直撃、即死だった。隣にいたわが同僚は小石が肩に当たった程度で、怪我で済んだ。古い石造りの建物だからバルコニーの高さは5-6mほどあると思うが、石でできているバルコニーだから、これが頭を直撃すると助からない。

遺族の代理人として領事館が補償につき、レストランと交渉したときいたが、レストランは1階部分を借りているだけで、他に建物の所有者がいた。建物の所有者との交渉を双方の弁護士がやったところ、バルコニーが落下したのは「神の業」であり人間の過失はないという結論に達したという。この建物は200年以上も前に建てられた石造りのもので、過去に一度もバルコニーが落ちたとかいう事故は記録にない。従い、今回の事故も人間の知識をもって予測できたものではない、ということで免責であるとのこと。

日本でバルコニーが落ちてきて死亡事故が発生すれば人災となり、民法§717機聞作物責任)責任は免れないが、なぜラテンでは天災扱いになるのであろうか。この地区でバルコニーが落ちたという事故が他にも一切報告されていないか、報告した人がいないというだけで、ありえないことだから「神の業」と結論付けるから、同じ建物の他のバルコニーの安全性を調べても「問題なし」という結果になった。いくら石の建物といってもいつかは崩れるだろうから、安全のために補強すべきだと思うが、そのような工事は一切行われなかったようだ。この事故の前、僕はこのレストランの入り口を20回以上通ったと思うが、事故の後は一切行かなかった。でもその後もこのような事故は起こっていないらしい。やっぱりあの事故は天災だったのか、考えてもわからなくなる。

もしこの世に神が居られて、あの事故を起こしたのであれば、その神はかなり癖の悪い方に違いない。人間の上に石の塊が落下するのを許可なさったのだから。しかも、亡くなられた方は、生前一度もあのレストランのおいしい海鮮料理を食べずに、あの世に旅立たれた。せめて食事の後、レストランを去る時に、石が落ちてくれたらよかったのに。一方で僕は20回以上もあのおいしい料理を食べさせてもらって、未だに生きている。ラテンの神は平等ではない。我々人間が考えても説明つかないことを、我々は「神の業」と言っているだけではないのか。L'atto di Dio(act of God)の訳語は「神の業」ではなく「不可解」とすべきではなかろうか。