アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

全米第5の大都会から奈落の底へ

今月18日、アメリカの伝統的自動車城下町デトロイト市(Detroit)が、負債総額180億ドル(約1.8兆円)以上で、連邦破産法第9条(自治体の破産)の適用を裁判所に申請し、事実上破産した。同じく自治体として2007年破綻した北海道夕張市の負債は632億円だったから、Detroitの負債はその30倍もある。さすがアメリカなどと感嘆しているわけにいかない。1966-1967年、僕は高校生の一年間をこの町で過ごした。米自動車最大手General Motorsが本社を構え、近くには第二位のFord Motors、第三位のChryslerがあり、社会の授業でもBig Three とは全米三大メーカーでなく、全世界の三大自動車メーカーだと教えていた。

当時のDetroit市の人口は180-190万人で、全米第五の大都会、黒人比率は数パーセントしかなく、黒人の子はごく一部の公立高校に集中していた。留学生の中には黒人の多い公立高校に入る人もいたが、大半は白人の多い高校に行っていた。表面上の人種差別はないはずだったが、無言の差別はいたるところにあり、黒人は黒人の多い高校に行った方が幸せと白人も黒人も言っていた。僕の通っていた白人主体の公立高校で、黒人の生徒が白人並みの「待遇」を受け「尊敬」されていたのは、ごく一部のスポーツで活躍している選手と、特定の科目で抜群の成績を誇る人だけだった。家では黒人の生徒と男女間で親しく付き合うなと指導している白人の家庭がほとんどだった。1862年Abraham Lincoln奴隷解放宣言を出して、100年以上経っても実体はそんなものだった。

そのDetroitで僕が帰国してすぐの1967年夏、Black Panther(「黒い豹」)という黒人解放暴動が勃発、黒人が大量にDetroit市内に住みつき始めた。黒人が増えるにつれ、白人の多くは郊外の白人だけの町に移住し("white flight”=「白人逃避」という)、1992年僕が久しぶりに見たDetroitの町は黒人だらけで、しかも僕が高校生の頃全米第二の巨大デパートだった市内のHudson’sは営業しておらず、ガラスが割れてお化け屋敷のようだった(全米第一位はMacy’s)。万引きが増えすぎて1983年閉鎖したという。今やDetroitの黒人比率は84%(60万人)と比率では全米第一位。(最大都市New Yorkは27%、第二位の都市Chicagoは34%)国全体で黒人比率は12-13%だから、Detroitの黒人比率は断トツだ。統計によるとDetroit市民の子どもの60%は貧困層で、市民の33%は国の貧困基準以下の生活をしている。しかも市民の50%はまともに読み書きができないというから、これでは黒人市長(元プロバスケットボール選手兼実業家Dave Bing、69才)がいくら頑張っても、雇用を増やすのは難しい。単純作業しかできない者ができる仕事は機械がしてしまうからだ。

Detroitが185万の人口を誇った1960年代の米国の人口は約2億人、現在その人口は3億1630万人と約60%増えているにもかかわらず、今のDetroit市の人口は70万に減って、全米第18位の都市に転落した。当然、住宅等建物も3分の1以上廃墟となり、買い手もつかない。一区画1/4エーカー(約1,000屐砲療效呂烹桶建ての住宅付き$100~$200(1~2万円)の値段でも契約は成立しない。長期間空き家になっている間に放火されて、一部燃えた跡のある住宅付きなら、$39というほぼタダで売りますという看板が立ててある。2008年のLehman Brothers破綻に続き、GMも経営破綻、大量解雇が人口減少に追い打ちをかけた。単純に黒人がつぶした大都会とは言い切れないが、白人と黒人が協力しないと国も町もうまくいかない。せっかく黒人の大統領が国を治めているのだから、Detroitを黒人のモデル都市に造り変えてもらいたいものだ。まずは子どもの教育から始める必要がある。