アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

新妻と飛んだ特攻兵

終戦記念日の翌日(8.16)のテレビで「妻と飛んだ特攻兵」という番組があった。実話をもとに作った映画で、819もうひとつの終戦記念日」(豊田正義著)というフライデーの連載もあったほどの有名な話だ。8.15、日本は全面降伏して、一応戦争は終わったのだが、主人公の谷藤徹夫22才、少尉)のいた満州では、その6日前の8.9ソ連軍が突然日ソ不可侵条約を破って、満州に侵攻、虐殺、強姦、略奪を繰り返した。日本の敗戦が決まると、それまでの被支配層であった中国人も日本人居留民を対象に略奪、強盗、殺傷するようになり、満州は日本人にとり地獄のようになった。
 
陸軍第五練習航空隊(少年特攻兵訓練学校)の教官をしていた谷藤徹夫少尉は、終戦前年の1944年結婚したばかりで、新妻朝子は谷藤の故郷青森で彼の家族と過ごし、いつか満州に呼んでもらうのを待っていた。そして、そのときは19457月初めにやってきた。谷藤少尉の住宅が確保できたからだ。9か月ぶりに夫と再会、一緒に暮らすことができるようになった二人のつかの間の幸せは、40日しかもたなかった。8.9ソ連軍侵攻、8.15敗戦、日本人にとっては地獄に化けた満州で、どうして生きて日本に帰ることができるだろうかと皆思った。事実、軍隊関係者は、詳細も知らぬまま列車に載せられて、シベリアに抑留されてしまった。
 
教官の一人、二宮准尉は、8.18、日本敗戦後の満州ソ連軍の行状を偵察飛行して「ウサギのように逃げ回る邦人を、露助が機関銃で撃ち殺し、戦車で轢き殺していました」と報告している。陸軍第五練習航空隊の教官有志11名(全員青年将校)は、ソ連軍の蛮行に対する抗議の意味もあり、関東軍総司令部から「ソ連軍に対して武装解除し、飛行機は全機、指定の基地に空輸し、ソ連軍に引き渡せ」との命令に反して、ソ連軍の戦車に体当たりすると決め、翌8.19を決行日とした。宿舎に帰り翌日の特攻を妻に告げた谷藤に対し、朝子は一緒に逝きたい、私も一緒に飛行機に乗せてと頼んだのだろう。
 
8.19谷藤少尉、二宮准尉など少年特攻兵の教官有志11名は、陸軍第五練習航空隊隊長箕輪中尉より、11機の飛行機をソ連軍に引き渡す任務を遂行するよう伝えられる。但し、隊長は、部下たちが飛行機をソ連軍に引き渡しに行くのではなく、ソ連軍戦車に特攻に行くことを打ち明けられていて、黙認しただけだった。出発直前、谷藤少尉の妻朝子が夫と同じ練習機に乗り込み、大倉少尉の練習機には許嫁(イイナズケ)スミ子が乗り込んだという。終戦から4日後の最後の特攻隊に、女性が二人いたのだ。
 
この我が国最後の特攻隊は、自らを神州不滅特別攻撃隊」と命名、それまで教えた少年特攻兵には「必ず後から行く」と言っていたので、教官たちは教え子との約束を守ったことになる。彼らの特攻から22年後、東京世田谷区の世田谷観音内に、神州不滅特別攻撃隊の顕彰碑が建立された。その碑文には、「谷藤少尉の如きは、結婚間もない新妻朝子夫人を後ろに乗せて」と刻まれている。谷藤夫妻は、昭和のRomeo & Julietかもしれない。