アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

ラテン的親切かゲルマン的余計なお世話か

前の車が信号機が変わったのに気がつかないときに後の車が合図するのは親切か意地悪か。ラテンでは前の車の運転者が信号が変わったにも拘らずおしゃべりに夢中で気がつかないということがよくあるからか、後の車が合図をして教えてあげるのが常識となっている。教えてもらった前の車の人は感謝の気持ちをジェスチャーで表し、「親切にどうも」という感じで手で合図をして立ち去る。ところがドイツで同じような場面で前の車に信号の変わったことを合図したら恐ろしい眼差しでにらまれた。余計なお世話ということか、他人の小さな間違いをわざわざ指摘するのは大人げないということであろう。イギリスでも紳士は前の運転者のうっかり見逃しを見てみぬふりをして、いつか本人が気がつくであろうからそのときまでじっと静かに待つという習慣があるようだ。しかし、間違い・勘違い・信号見逃しは人間誰にもあること、前の人の間違いに気がついた後の人がいたら、それは親切に教えてあげるべきではないか。間違いを指摘された人が気を悪くする必要もない。限りある人生を大事に生きるのが生命を与えてくれた神に対する恩返しとすれば、しょうもない信号機とボケ運転手のおかげで限られた人生の時間を無駄に過ごすのはあまりにももったいない。間違いを指摘された人の自尊心に傷がつくなんてけったいな発想をせず、考え事をして忙しかった自分より後の暇な人が親切に教えてくれたと感謝の気持ちを持つべきではなかろうか。どうもゲルマン的紳士は偽善的に思われる。ラテン的イラチの方が人間的なのかもしれない。