アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

リスボン大震災

3月11日東北地方太平洋側で巨大地震津波に見舞われたが、約250年前、ポルトガルの首都リスボンでもほぼ同規模の巨大地震が発生、地震津波による死者は9万人以上であったといわれる。リスボン地震はMagnitude 8.5~8.7。市の中心部には5m幅の地割れができ、その揺れは遠くフィンランドでも感じられ、北アフリカのモロッコ沿岸では20mの津波に襲われたそうだが、今回の日本の巨大地震はMagnitude 9.0というからその巨大さが想像できる。まさに数百年に一度、千年に一度の大惨事。リスボン市内の建物の85%以上が地震で崩壊し、宮殿や図書館なども瓦礫と化した。その後発生した火災は5日間に渡って燃え続け、倒壊しなかった一部の建物も含めてほぼ全部の市を焼き尽くした。ヴァスコ・ダ・ガマ大航海時代の航海者たちが残した詳細な記録も王立文書館の建物と共に焼失し、国王の貴重な書物も絵画もすべて焼失した。津波と火災で当時人口27.5万人といわれたリスボンの市内は完全に灰燼に帰したと記録されている。地震の混乱に乗じて外部から略奪に入ってくる者がいたようで、市の周囲の丘の上に絞首台が立てられ、30名以上の掠奪者が見せしめとして処刑されたという。地震発生は1755年11月1日(All Saints Day)午前9時40分。キリスト教で11月1日は全ての聖人の祭日であり、このような神聖な日に大惨事が起きたため当時のヨーロッパ知識人の間で、なぜ全知全能で絶対善のはずの神が悪の存在を許容するのかという弁神論が広がり、宗教に縛られていた人々を啓蒙思想の方向に向けさせた大きな契機になったとも言われている。当時のポルトガルは多くの教会を援助し、海外植民地にキリスト教を宣教していたのに、その首都リスボンが、こともあろうにカトリックの祭日に地震の直撃を受けて多くの聖堂もろとも破壊されたというのは、18世紀の神学で説明できなかったというのだ。国王Jose Iはこの地震で壁に囲まれた空間に対する恐怖症(閉所恐怖症)になり、死ぬまで治ることはなかったという。(宮殿の壁が怖くて、丘に建てた大きなテントで余生を暮らしたそうだ。)現在のリスボンにBaixaという優雅なお店通りがあり、ここの建物は大地震の教訓から耐震建築だというがポルトガルで見る建築中の建物の柱は日本の標準よりは遥かに細いように思われたから、リスボンの悪夢はいつかまた繰り返されるかもしれない。東北地方の大惨事を目にしてせめて被害のなかった我々は町会(自治会)として義援金を集めて被災地に一刻も早く届けることを当面の目標としたい。地震は「明日は我が身」だ。