アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

カダフィの傭兵

カダフィによる平和的デモ隊(=市民=国民)に対する殺戮によりわずか2週間くらいで死者2,000-2,500人に膨れ上がったとされるリビアで、カダフィ体制を支えているのはこの狂人の恩恵を受けている一部の取り巻き連中(6人の息子を含む親族と自部族の民兵)と金で雇われた外国兵だ。軍の一部も早くからカダフィを見限ってデモ隊=反体制派に与したことから、自国民は頼りにならないと判断して外人部隊を急遽かき集めたようだ。死傷者が集まってくる地元の病院で医師は「カダフィによる大量殺人」と断言、糾弾している。外人傭兵はリビアよりも貧しいチャド(Tchad 1,100万人)、ガーナ(Ghana, 2,400万人)、ニジェール(Niger, 1,500万人)、マリ(Mali, 1,300万人)辺りから彼らの国における平均月給の数十倍の報酬でにわかに集められた者で、この任務はハイリスク・ハイリターンと納得してと言うか、それしか家族を養うすべがない者たちだ。これらの最貧国からかき集めた傭兵を人口650万のリビアの狂人が豊富な石油収入を使って自国民の殺害を外部委託しているのである。1980年代に僕はリビアに生地を売りに数度出張したことがあるが、入国の瞬間から出国手続きをして飛行機に乗るまで広大な刑務所のような国だと思ったものだ。恐らく今も変わらないと思うが当時は外人蔑視がはなはだしく、リビア人にあらずんば人にあらずという感じで対応され、犬や獣のように扱われた。当時ローマからベンガジまで直行便があったが、入国カードにはアラビア語しか書かれておらず、自分の名前・住所・パスポート番号など記載するのもアラビア語に限るとなっていた。当然アラビア語が書けない者は入国手続きの前の代書屋(江戸・明治時代の代書人、戦後の行政書士)に並ぶのだが、ここでも自国民優先で文字の書けないリビア人が先だ。代書屋の仕事はゆっくりしているからどれだけ待たされるかわからず入国当日の仕事はできないと考えるべきだから常に1日早めに入国しなければならない。空港に冷房はなく、かなり健康な者でないとリビア出張は無理とされた。しかも生地の見本は30kgの見本が入ったスーツケース3-4個あるから出張員二人でこれを公団の商談室に運ぶのは健康な者にも大変だ。何せ4階の商談室までのエレベーターはここ数年壊れて動かないというから、階段を使って運び上げなければならない。午前中の半日商談室で待たされて結局担当者が今日都合悪くなって来れないとなった場合、翌日の商談までスーツケースを商談室に置かせてくれないからまた階段で運んでホテルまで持ち帰らなければならない。夏は暑いから午後は全ての仕事が休みだった。なぜ商社に入って自分達だけがこんな苦労させられるのかと同僚と身の不運を嘆いていたのが最高指導者カダフィの国リビアだった。「目には目を、歯には歯を」というハムラビ法典の公平性を基礎とするイスラムであれば、同様にリビア人が日本に入国する際の入国カードには英語を併記せず漢字だけにして住所・名前も漢字で書くことを強制すべきだろう。でも間もなくカダフィがいなくなればリビア普通の国になると期待したい。願わくばこれ以上反カダフィ派の善良な自国民を殺さないでほしい。