アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

関東大震災を「予言」した学者

1923年に発生したm7.9の関東大震災を発生の18年前に「予言」した地震学者がいた。東京帝国大学地震学を研究していた今村明恒(アキツネ)は関東地方の過去の地震歴を調べた結果50年ごとに大きな地震が発生している事実を突き止めた。慶安地震(1649年)の後には元禄大地震(1703年、m8.1)が起きている。1905年、彼は安政江戸地震1855年、m6.9、死者1万人以上)から50年経過しておりいつ東京に巨大地震が来ても不思議ではないと一般大衆向けの雑誌『太陽』に科学者として論文を投稿した。論文の趣旨は「東京大地震の沿革と地震の地理的分布から見て、50年以内にまた大地震が起きる。安政江戸地震当時に比べて石油などで以前よりもずっと発火や延焼が多くなるので火災の被害が甚大になり、地震により水道鉄管が破壊されたら、帝都の消防能力は完全に喪失し、10万20万の死人も起こりうる。従い政府は真剣に防災対策を施すべきだ」というものだ。この論文を新聞が「今村博士の大地震襲来説、東京大罹災の予言」と大々的に取り上げて大きな騒ぎになった。翌1906日に東京湾地震(M 6.4)が発生、誰もが今村博士の「予言」した大地震襲来を覚悟し、大騒ぎになった。しかし、それ以上の大地震は到来せず、今村はマスコミに「大ほら吹き」の烙印を押され、世間を騒がせたとして非難されることになる。人々の不安を鎮めるため、今村の直接の上司である大森教授までもが「東京には今後何百年も安政地震のような大地震はないだろう。10万の死人を生ずるというのは、まったく学術的な根拠のない浮説にすぎない」と述べて今村を批判した。大森は、「今村が予言していた関東地震は起きない」と公言していたが、1923年、実際に関東地震が起きて死者が10万人を超える大被害発生してから、師弟の世間の評価は逆転した。大森も自身の誤りを認め、関東地震後2ヶ月あまりで失意のうちに亡くなった。今村は地震予知の神様扱いをされ、その後に発生することになる東南海地震(1944年、m7.9、死者1,200人)も発生する15年前に「近々起きる」との論文を発表し、科学的「預言者」の地位を不動のものにした。しかし、彼はいつ地震が起きると時期を特定したことはなく、いつ起きてもいいように準備をすべきだと主張していたのであり、彼の研究室が現在の東大地震研究所(1925年設立)の基礎になっているという。最近東北大学でもラドンガス濃度の研究から地震発生地域・時期の予測につなげる研究が進んでいるときく。イタリアの研究者のように地震発生6-24時間前に予知することができなくても、せめて数日前から数か月前までに予知できるようになれば、地震被害の大きい我が国では大変ありがたい「天の声」になるだろう。