アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

戦勝国と敗戦国の終戦記念日

68年前1945年の今日、重光 葵(マモル)外務大臣(当時58才)は、東京湾に停泊する米国戦艦Missouri号甲板において、天皇及び大日本帝国政府を代表して、連合国に対する降伏文書に署名した。その内容は、米英中三カ国首脳が1945年7月26日発表したPotsdam宣言(無条件降伏)を受け入れるというもの。天皇玉音放送日(8月15日)から18日目になる。米英等の連合国側にとって終戦記念日は枢軸国側最後の日本が無条件降伏文書に署名した日を指す。わが国にとっては敗戦だが、彼らにとっては対日戦勝記念日だ。

ドイツの終戦記念日は5月8日。Hitler自殺後1週間ほどの1945年5月8日、ドイツは無条件降伏、欧州戦線は終了した。イタリア(国王派)は1943年9月8日、連合国に降伏し、翌月には対独宣戦布告をしたから、この時点で枢軸国は日独の2カ国だけになっていた。対独宣戦布告を受けてドイツが北部イタリアに進駐してきたから、連合国共同参戦国(Co-Belligerent Country)のイタリア(国王派)は国内のドイツ軍と戦い続け、ついに1945年4月25日国内からドイツ軍を追い払ったので、4月25日を終戦記念日(Anniversario della liberazione d'Italia=イタリア解放記念日、別名Festa della Resistenza=抵抗記念日)としている。

イタリア人と話をして奇異に感じる点がある。日本の歴史では、彼らは日独伊三国同盟の仲間で、同じ敗戦国と習ったはずだが、イタリア人は自分達は第二次世界大戦戦勝国側だと言う。日独伊三国同盟を結んだのはMussolini引きいるファシスト国家であり、Mussoliniは1943年7月には国王から首相を解任されており、その後のMussolini政権はドイツHitlerの傀儡政権だったからだ。1943年7月Mussoliniが招集したファシズム大評議会(Gran Consiglio del Fascismo)において、王政復古("Ordine del Giorno Grandi””=「グランディの重大事項」と呼ばれる)が多数決により正式に決定されており、その時点で統帥権と独裁権は国王に返還されたというのだ。

その後のイタリアは連合国共同参戦国として、北部Mussoliniファシスト国家を支援するドイツ軍と戦い、ようやく1945年4月25日、イタリアをドイツ軍から解放した。自分達がドイツ軍を追い払ったおかげで、間もなく(5月8日)ドイツは無条件降伏の条件をのみ、欧州戦線の第二次世界大戦が終了した。この時点で枢軸国でなおも世界を相手に戦争を継続するという愚行を続けていたのは大日本帝国だけ。沖縄戦が益々激しくなってきて、誰にも勝ち目がないと分かっていたのに、原爆を落とされるまで被害を極限まで大きくした。

米国戦艦Missouri号で、連合国を代表して日本の降伏文書に署名した国は9ヵ国(米英仏中ソ加蘭Australia, NZ)。戦勝国であるはずのイタリアが含まれないのは、途中から参加した共同参戦国だからだ。Bulgaria, Romania, Finland, Portugal, Irelandなど他の共同参戦国もMissouri号の調印式に招待されていない。イタリア(国王派)が1943年9月8日連合国に降伏しなかったら、500機の連合国航空機による首都ローマへの爆撃が始まり、今のローマは消滅するところだった。遅くとも欧州戦線で枢軸国の敗戦が確定した時点で、日本も無条件降伏すべきだった。