アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

マンデラの魔力

Mr. Nelson Mandelaが亡くなった。彼の95年間の人生は、人類の歴史を変えたと言ってもよい。

地下資源が豊富にある南アフリカ(共和国)は、17世紀、オランダ人が植民地を建設、その後、金やダイアモンド、プラチナなどが無尽蔵に出てくることが分かると、英国人も入植して資源をあさり、19世紀にはついにオランダ系住民と英国系住民が衝突、20年ほど続く戦争となった(ボーア戦争)。結果は多大の犠牲を払ったものの英国の勝利となり、1910年から南アフリカは英国の自治領となった。

白人及び白人系(白人との混血、インド人など)だけが支配階級として選挙権を持ち、黒人を隔離して住ませる政策が悪名高いアパルトヘイト(Apartheid、人種隔離)という黒人差別政策。黒人の居住・移動は制限され、教育は白人と非白人で分ける。日本人駐在員などは白人ではないがhonorable white(名誉白人)と扱われて、白人居住区に住むことができ、白人専用のバスにも乗れる。大雑把に分けて白人の人口比率は15%前後、残り85%くらいは黒人だった(現在は白人10%未満)。

Mandela氏は1918年生まれ、大学生の頃から黒人の政治組織アフリカ民族会議(African National Congress = ANC)に参加し、弁護士として反アパルトヘイト運動を主導した。ANCの武力闘争組織の創設者として1962年逮捕、投獄され、反逆罪などで終身刑を宣告された。27年あまりの獄中生活後の1990年、当時の白人大統領de Klerkにより釈放された後は、ANC議長として民主政権への平和的移行に尽力、1993年には、Mandela & de Klerkの両名はノーベル平和賞を共同受賞した。翌1994年に南ア初の全人種による選挙で、初代黒人大統領に就任。Obama氏は米国大統領になる前から、Mandela氏を「英雄」と尊敬し崇め奉ってきた。彼の最初の政治活動はApartheid撤廃運動への参加だった。

Mandela氏は大統領になっても白人に報復することなく、人種の融和を目標に多人種共存の国家「虹色の国」(Rainbow Nation)を目指した。今の韓国の女大統領なら、こんな寛容な政策は絶対にとらないだろう。95才で亡くなったばかりのMandelaのニックネームをとってMadiba magic(マンデラの魔術)と新聞紙上で言われている。色々もめ事が絶えない南アではあるが、Mandela氏の死亡を契機に全ての人種がまとまって彼の喪に服し、彼が残した遺産を受け継ぐとともに、彼の95年の人生を祝福しようではないかというものだ。人間の心にある慈悲と寛容は、他人を憎むのではなく愛するように導いてくれるのだから。南アの「ガンジー」の死を世界中の人々が悲しみをもって受け入れようとしている。