アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

昭和の脱獄犯

メキシコの麻薬王・脱獄犯Joaquín Guzmán711脱獄したまま、まだ捕まったという情報はないが、日本にもほぼ伝説の世紀の脱獄犯がいた。網走刑務所を見学した人なら必ず説明を受ける、あの白鳥由栄(よしえ、19071979)だ。手錠・足をはめられた独房からまんまと脱獄したのだから、これはハイテクというべきもので、メキシコの脱獄犯のように金で看守らを買収したのではない。人並み外れた持ち前の力と並々ならぬ日々の努力だけで脱獄したのであり、脱獄に際して、看守にけがをさせたり、武器を奪ったり、人質を取ったりするような強行突破は一度もない。当時の看守の間で「一世を風靡した男」と評された人物だ。
 
彼は明治40青森県生まれ、豆腐屋をしながら生計の足しに泥棒をして生活していた。25才の時、盗みに入った家で見つかり殺人を犯してしまう。2年後、その時の共犯者が別件で捕まったのを新聞で知り、義理堅い彼は自首したのだ。実は、主犯が先に捕まった男で、共犯が白鳥由栄だったのだが、主犯が自分の刑期を短くしてもらおうと、主犯は白鳥だと言ったのだった。とにかく彼は自首してから数奇な運命をたどる。
 
27才で青森刑務所入り、翌年第1回脱獄に成功。看守に「お前なんか死ね」とバカにされ、唾をかけられたから、我慢ができなかったからという。3日後に見つかり、青森刑務所、宮城刑務所、秋田刑務所に移され、秋田刑務所でまたまた横暴な看守と出会い、我慢できなくなって34才で2回目の脱獄に成功する。この時は3か月後に、自ら宮城刑務所でお世話になった親切な刑務官を、東京の小菅刑務所官舎に訪ねていき、事情を話して自首した。
 
そこで送られたのが網走刑務所。冬の寒さは凍え死ぬほどだが、彼は夏服1枚しか着ることを認められず、しかも手錠に足錠もはめられて最悪の環境であった。手錠が食い込んで骨が露出し、傷が膿んで、そこからウジがわいたというから、人間どころか生き物としての扱いでなかったことがわかる。彼は3度目の脱獄の決意をする。味噌汁を少しずつ残して鉄格子にかけ、鉄が腐食するのを待った。毎日ありったけの力で鉄格子をゆすり、手錠も足錠も同様に緩めておいて、昭和19826の夜、停電を機にまんまと脱獄に成功した。37才だった。
 
網走刑務所脱獄から2年経った頃、日本が負けて戦争が終わったと知る。彼は山に隠れていたため世の中の事情を知らなかった。札幌に向かおうとして事件に巻き込まれ捕まり、札幌刑務所に収容される。ここの待遇もめちゃくちゃ悪く、彼は4度目の脱獄を決意する。Guzmán1,500mのトンネルと比べると比較にならないが、食器と手で2mほどのトンネルを掘り、床下から脱出、39才にして史上最高の4度目の脱獄に成功する。9ヶ月ほど山で暮らした後、まともな警察官と出会い、自首して府中刑務所に入る。54才で仮釈放、そのあとは建築現場で働いたりして71才の人生を終えた。4回脱獄の記録は、未だ破られていない。