アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

ヤクザのボスから牧師に転身した男

2014Fortune誌のランキングでは、世界最大の犯罪集団は暴力団山口組(年間収益800億㌦)、第二位はロシアマフィア「ブラトヴァ」(収益85億㌦)。神戸市に本拠を置く構成員・準構成員数23000人余りのダントツ世界一の広域暴力団山口組に、最近、組織分裂の動きがある。組織運営に不満を唱えた傘下13団体(構成員は合計3,300人程度)のうち、山健組、宅見組など5団体の組長が「絶縁」処分、黒誠会会長など8団体の会長組長が「破門」処分を受けた。
 
山口組の処分で「絶縁」は最も重い。組織の存在すら許されない処分だからだ。「破門」は一般的な処分で、再び組に戻ることが許される。これらの組織運営に不満を唱えた勢力が、9月初めの幹部会に向け、山口組を離脱し、新たな組織を立ち上げようとしているのだ。背景は、傘下の名古屋を拠点にする『弘道会』と、『山健組』を中心とした関西派との派閥争いがあるようだ。分裂の動きに合わせ、総本部を神戸から名古屋に移そうとする動きもあるらしい。
 
1978年、京都京阪三条駅前のナイトクラブ「ベラミ」で、山口組三代目組長田岡一雄が狙撃される事件が起きた。銃弾は組長の首を貫通したが、彼は奇跡的に一命を取り留めた。この事件の首謀者は、敵対する松田組系「大日本正義団」二代目会長吉田芳幸。山口組との熾烈な暴力団抗争を繰り広げた吉田は、事件から3カ月後、殺人未遂容疑で逮捕され、懲役5年の実刑判決を受けた
 
吉田は工業高校の生徒だった時に腕っぷしの良さを松田組の親分に認められ、高校を中退、スカウトされて松田組に入った。吉田はここで頭角を現す。1975年、後に「大阪戦争」と呼ばれる暴力団抗争が始まった。賭場での問題から、豊中市の喫茶店で、松田組傘下の組員らが、山口組傘下の組員3人を射殺した。報復に翌年、大阪・日本橋の商店街で、山口組系組員が松田組系の大日本正義団初代会長(35才)を射殺したから、吉田は跡目を継ぎ、2代目会長に就いた。大日本正義団の敵は、山口組代目組長田岡。1978年、松田組の手先は山口組代目組長を狙撃したのだ。
 
 出所後、吉田は韓国へ渡り、以前から知り合いだったクリスチャンの韓国人女性のもとに行く。女性は吉田の子を産み、育てていた。刑務所を出てきた時、娘は幼稚園に上がっていた。妻の強い影響を受け、40代半ばで極道の世界から足を洗った。数年後には自ら洗礼を受けた。彼は、「イエス様を信じたら、みんなも私を信じてくれるようになり、人生が変わった」といい、今、キリスト教の牧師、信徒代表の長老として、東大阪市の「ベタニヤチャーチ」をはじめ、各地で伝道を続けている。息子はこの教会の主任牧師だ。大阪戦争から40年、あらゆる悪に手を染めた自らを悔い改めた吉田芳幸(72)は、全身刺青の体に十字架を付けて、刑務所伝道なども行っている。自分がやったように、人は誰でもやり直せる、未来は誰でも変えられる、と受刑者を励ます。怒りはマイナス、人は弱いから怒るのだそうだ。「やり直せたぼくを見てください。人は必ずやり直せる。」「恐れ、妬み、批判の霊を追い出せば人も変わる。内側が変わらなければ外側は変わらない。」これが元やくざのボスの説教だ。