アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

相撲界の女性不浄観

舞鶴市長が土俵上で挨拶中に倒れ、観客の中から心臓マッサージができる女性医療関係者(看護師)が土俵に駆けつけて市長に心臓マッサージを施し、市長が一命を取り留めたというニュースが世界を駆け巡っている。男で心臓マッサージができる者が近くにいなかったのに、この時、相撲協会は「女性は土俵から降りてください」と何度もアナウンスして、近くの相撲関係者も駆けつけた女医・看護師が土俵に上がるのを制したというから、ハイテクの塊のような日本が「伝統」と称して、未だにこんな男尊女卑の伝統文化を大きな図体の大人が命を懸けて死守していることに世界は驚いている。
 
New York Timesは、相撲はもともと神道において、収穫の儀式の一環として発展してきたと説明する。収穫の女神をもてなすために土俵で男が執り行う行事で、そこに女性が上がると嫉妬深い収穫の女神が怒り不作になるという言い伝えから、女人禁制の習慣ができたと紹介している。古くは8世紀から宮廷で行われていたともいい、江戸時代は武士の世界だから女が相撲を観戦することも認められなかった時期もあった。
 

しかし時代は変わって、間もなく平成の時代も終わろうとしているときに、女が土俵に上がると「けがれる」と主張する相撲協会は、時代錯誤も甚だしいというか、事実誤認に基づいたバカの集団の発想としか思われない。もともと、そんなことをいう男たちは「不潔な」女が産んだ生物だということを知らないのか。相撲取りの面倒を見てもらっている相撲部屋の女将(オカミ)は通常女ではないか。女将の世話にならずに力士になった者は未だかって一人もいない。こんなことを正々堂々と大男の集団がやっているから、厚切りジェイソン “WhyJapanese people?” と叫んで日本で受けるのだ。この手の時代遅れの「伝統」は漫才の世界だけに限定すべきだろう。

 
その後、女性の宝塚市長が大相撲宝塚場所で挨拶をしようとしたら、相撲協会から土俵の上で挨拶は認められないと断り、やむなく土俵の下で挨拶をした。過去には、女性官房長官内閣総理大臣杯を土俵上で渡そうとしたら断わられ、大阪府知事(女性)が知事賞を土俵上で渡すのも相撲協会は断っている。将来的に内閣総理大臣が女性になった場合でも総理大臣が土俵に上がるのを伝統に反するという理由で断るのなら、彼女はその時点から内閣総理大臣杯を廃止することを決断するかもしれない。女が土俵に上がると神聖な土俵がけがれるなど迷信に基づく悪しき因習をいつまでも踏襲しているから、神聖な八百長をやめることもできず、神聖な暴力事件を断ち切ることもできないのが相撲協会ではなかろうか。相撲業界外から「社外取締役」を連れてきて相撲協会の理事長にするなど抜本的改革をしなければ、ちょんまげの大男たちはいつまでも井の中の蛙で終わるだろう。