アミのひとり言

事務所のアイドル犬アミのひとり言です。

ゴルバチョフの一生

 ソ連を解体したゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)が先月30日亡くなった。91才。大学の級友であった妻Raisaは1999年、67才の時に白血病で亡くなっている。二人の娘には自分は再婚しないと伝えていたという。母親はウクライナチェルニーヒウ(Chernihiv)の出身で、今回のロシアによるウクライナ侵攻で、3月には既に学校や高層住宅などがミサイルで破壊された町だ。彼はPutinのウクライナ侵略戦争大義はないと今回はPutinを非難しているが、2014年のクリミア(Crimea)侵略を容認しているので、徹底した平和主義者でもなさそうだ。

 

 彼が生まれた当時のロシアは、スターリン(Stalin)率いるソ連共産党が支配するソビエト連邦。実家は貧しい農家で、よく集団農場(kolkhoz)でトラクターを運転して仕事を手伝っていたという。モスクワ大学で法学を勉強し、卒業後、共産党の農業行政官になり、官僚の道に進む。共産党員にならなければ将来のない時代だからやむを得ないが、その頃から、彼は生粋の共産主義信奉者ではなく、民主主義的な社会主義の方が優れていると考えていたそうだ。彼が大学を卒業する頃、共産党のトップ(書記長)はStalinからフルシチョフ(Khrushchev)に代わっていた。

 

 Gorbachev 33才の時、共産党トップはブレジネフ(Brezhnev)に交代する。Brezhnevの時代、Gorbachev 49才の時、彼は共産党中央委員会総会で、史上最年少の政治局員に抜擢される。2年後、Brezhnevが亡くなって、政治局員の中からアンドロポフ(Andropov、当時68才)が書記長に選ばれるが、彼は1年3か月後に死亡、次に書記長に選ばれたチェルネンコ(Chernenko、当時72才)、も就任してわずか1年1カ月後に死亡した。もともと政治局員は経験を積んだ年齢の者がつく地位だが、二人の短命な書記長を選んだ中央委員会は、今度は一番若いGorbachevを書記長に任命した。1985年、彼が54才の時だ。

 

 54才でソ連共産党のトップに躍り出たGorbachevは、もともと共産主義(Marx/Lenin主義)の限界を悟っていて、民主的社会主義の国にしようと改革を始めた。ペレストロイカ(Perestroika、経済の意思決定を分散して効率化を図る構造改革)とグラスノスチ(Glasnost、言論・報道の自由を保障する情報公開)だ。特に彼が55才の時に起こったチェルノブイリ(Chernobyl)原発事故を見て、Glasnostの重要性を再認識したという。

 

 東ドイツ始め東欧共産圏諸国が自由主義に移行するのを武力で阻止しなかった彼の決断が、歴史的東西ドイツの統一となり、各国のソ連からの独立となったのは、そのような思想のロシア大統領でなければ実現しないところだった。彼は、Glasnostはソ連・ロシアを西側諸国のような自由主義に導くだろうと予想していたという。ソ連共産党のトップとして、あからさまにほっておくこともできず、独立しようとしたリトアニア(Lithuania)に軍隊を送ってデモ隊を虐殺したりもしたが、根っからの共産主義者でなかったから、今の旧ソ連圏各国があるともいえる。中途半端ではあるが、東西冷戦を止めて、米国と核兵器削減合意をした意義は大きい。PutinがGorbachevの始めたGlasnostを廃止して元の秘密主義に徹していることを大いに憂うる大政治家がついに亡くなった。